∑考=人

そして今日も考える。

何もしないからクリエイティブになれる

私は今業務チームのメンバとして設計をしている。今の主な業務は顧客調整とそれに向けた資料作り、そして設計書の執筆である。と言っても、チームは3名(課長クラスの人、2年目の先輩、私)であり、ただのメンバなので特に私が自分の考えを述べたりする場面は少ない。打ち合わせで話されている内容も正直今は概要ぐらいしか汲み取れない。

 

ただ、私にもわかることがあって、今のチームに意志と呼べる意志など何もない、といことだ。つまり、「お客様にとって必要なシステム、機能ってどんなものなのか」あるいは自分たちとして「どんなシステムを作りたいのか」というものがまるで感じられない。考えてもわからない、とかそういう感じではなく、そもそもそういった思考を放棄している印象を受ける。

 

お客様の要望に対して、「それはできますが、性能が下がります。(なのでやめましょう。)」「それはできますが、こちらとしては特に不要と考えます。(なのでやめましょう。)」とか色んな物を削ぎ落とす方向の提案が目立つ。

 

提案と言えば聞こえはいいし、実際無駄なものを削ぎ落とすというのはとても重要なことだと私も考えている。ただ、この開発に至っては、なるべく自分たちの仕事量を減らしたい、という意図しか伝わってこない。特にお客様の真のニーズを引き出せているとも思えないし、お客様の要望に対して遠回しとは言え、それは無理ですと答えているのだ。

 

そんなことを思いつつも私も何もできないでいる。実際、コスト面の問題が絡んでくるので見積もり対象外の要望を簡単に引き受けることはできず、今の自分には判断のつかないことが多い。2年目の先輩がどう思っているのかは知らないが、上司であるチームリーダーがなるべくやらない方向で考える人のため憤りを感じる。

 

とは言え、色んなことをやらない方向で考えてしまうのも正直無理はないとも思う。圧倒的にクリエイティブなことを考える時間が不足しているのだ。職場環境もさることながら、マルチタスク型の働き方がクリエイティビティを奪っていると感じる。

 

クリエイティブというと、アーティスティックなイメージで普通の職場には必要がないと思う人が多いかもしれない。ただ、作業一つを取っても、どんなやり方で実施するのかを考えることは既に十分にクリエイティブな行為である。

 

しかしながら、作業効率を上げるためにクリエイティブな思考を使っているほど時間的に余裕がない、というのが勤労時間の長い日本人の現状なのだろう。そもそも職場にいると頭を動かすより手を動かすことを強いられ続ける。頭を動かしているだけだと傍目には努力量が見えないからだ。

 

実際には努力量ではなく最終的なアウトプットに対して対価である給料が支払われるべきなのだが、日本社会はそうはなっていない。結果として、クリエイティブ思考なんてものはどこかに埋没してしまった。それが実態なのかもしれない。

 

本当に価値のあるアウトプットを出すためにはやっぱりまとまった時間が必要である。もちろん、時間をかければかけただけ良いものが出るわけでもないが、1時間単位で頭の切替が求められるような働き方は圧倒的に不利だと思う。

 

私はだいたいブログのエントリを1本書き上げるのに1時間ぐらいかかるのだけど、基本的には1日中を通して、ある程度断片的なネタを考え続けている。もし、ただ書くという作業に没頭していたらもっと時間はかかるし、もっとわけのわからない文章になっているはずだ。まず、いきなり書こうとしても何も出てこない。そのぐらい、ただ考えるだけの時間というのは重要なのである。

 

私たちの仕事は手を動かすのではなく頭を動かすことだ、という自負があるなら、もっと何もしていないように見える時間が業務時間内に組み込まれていてもいいんじゃないだろうか。