∑考=人

そして今日も考える。

人は嫌なことを先送りにする生き物

小学生や中学生の頃は、宿題というものがあった。夏休みの宿題などはその量が極めて膨大で、それが小学生や中学生の夏休みを少なからず面白くないものにしていた節もある。

 

夏休みの宿題は夏休みが始まる少し前に私たちに課されるわけだけれど、この時、学生は2つのタイプに分かれる。一つは、まぁまだ夏休みは始まってもないし、後で適当にやろうとするタイプ。もう一つは夏休みが始まる前、なるべく早いうちに宿題を終わらせてしまって、夏休みを謳歌しようとするタイプである。あなたはどちらのタイプだっただろうか。

 

意外かもしれないが、私は最後の最後まで宿題を残すタイプであった。「明日やろう、は馬鹿野郎」なんて小洒落た言葉があるように、嫌なことを後回しにするのは一般的には良くないことだと思われている。たぶん、仕事で出世していくのも、前倒しで嫌なことを進めていける人なのかもしれない。

 

でも、私は今後もそういう前倒しの生き方はできないと思うし、する気もない。嫌なことを先にやって、次の日に死んでしまったらシャレにならない。(これは結構ガチで思ってる。)それに、嫌なことを先送りにしていく方が人間らしいと思う。

 

そもそも、人生においては嫌なことは最後の最後に訪れるようになっている。

 

例えば、人と出会うこともそうだ。全く知らない人と出会い、共に時間を過ごし、信頼関係を築き、やがて友達になる。友達ができるのは人間にとって嬉しいことであり、素晴らしいことだ。

 

ただ、誰かと出会って仲良くなることは基本的には別れという嫌なことを先送りにしているに過ぎない。恋人を作ったり、結婚したり、ペットを飼ったりするのも、別れという嫌なことを先送りにして、楽しいことだけ前倒しで享受しているだけである。

 

究極的には、この世に生を授かること自体が死という最大の不幸の先送りだとも言える。私たちはこういった、嫌なことを先送りにせざるを得ない構造の中で生きているのだ。

 

でも、どうだろう。これから死にゆく人が生まれてこなければ良かったとか、離婚した人が結婚しなければ良かったと思うかというと、決してそんなことはないんではなかろうか。むしろ生きて良かった結婚して良かったと思う人の方が多いように思う。つまり「終わり良ければ全てよし」というわけでもないのである。

 

もちろん、夏休みの宿題や仕事は先にやってしまうことは可能である。ただ、今楽しいか(後で辛いか)後で楽しいか(今辛いか)の違いだけであり、トータルでは対して変わらない。

 

嫌なことを先送りにしたって構わない。最低限のリスクヘッジをしたら、むしろどんどん先送りすべきだ。その方がきっと人生は楽しい。