∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

納得感を得てからがスタート

彼女が一人暮らしを始めた。東京で生まれ育った彼女にとっては、一人で生活をする初めての経験になる。一人暮らしを始める前は、実家の煩わしさからの開放、新しい生活へのワクワクを楽しみにしているようであったが、実際に一人暮らしをしてみると「寂しい」とのことだ。

 

彼女は私に、寂しくはないのか、とよく問いかけてくる。私は東京で育ったわけではないので、慣れ親しんだ友だちはこちらにはほとんどいない。これといった趣味もなく、同期の付き合いにもほとんど顔を出さなくなったため、結局会いたい時にすぐに会えるような人間関係はほぼ皆無と言っても良い。そんな状況の人間がたった一人で東京という街で暮らしていけることにちょっとした畏怖の念を覚えているらしい。

 

一人でいることに退屈したり、思い悩んだり、静かさに不安になったりすることを「寂しい」というのであれば、私にもそれは該当する。実際のところ、一人で寂しくない人間なんていないと思う。

 

ただし、寂しさを人に頼らずとも紛らわせる方法は沢山知っているつもりだし、今のこの寂しい状況というのが結局自分にとっては最適であるという納得感がある。そもそも人間とはどこまでいっても孤独なものだという真理にも到達済みだ。別に孤独であることに固執するつもりはないけれど、無理に孤独を避けることに大きなメリットも感じない。

 

確かに人と居ると安心できるし、現実から簡単に目を背けることができる。単純に賑やかになるので気持ちも安らぐだろう。一方で、多少なりとも他人に気を遣うことに疲れたり、自分一人で考えなければならないことは確実に溜まっていったりする。マイナスの要素も結構あるのだ。

 

強いて言えば、この自分の寂しさに対する納得感こそが一番寂しさを紛らわせるものになっているのだろう。もちろん、その寂しさに対する納得感を得るまでに様々な経緯はあったわけだが、私の場合、既に一人暮らしを始める前に孤独に対する納得感は得ていた。だから一人暮らしを始めたときも純粋に良い感情を抱くことの方が多かったのだ。納得感を得る前だったら一人暮らしの後に寂しさでもがき苦しんでいたかもしれない。

 

転職しても状況は何も変わらない。多くの転職未経験者達はそんなことを言う。今の会社で起こっている問題や、今の会社にいる面倒臭い上司は、他の会社にも必ずいる。確かにそうなのかもしれない。でもそれを自分の目で確かめたことのある人は少ない。

 

自分の目で確かめたことのある人とない人の違いが、納得感があるかどうかなのだろう。そして、主体的に納得感を持っているかいないかで、行動に対するコミット度が異なってくるのである。成果に起因するのは行動でしかないのだから、行動に対するコミット度を高める納得感、というのは長い目で見た時に大切になってくるんじゃないだろうか。

 

他人の失敗から学ぶのももちろん大切であるけど、最終的には自分が失敗したことでないと、本当の意味で納得したり、改心することはできない。