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∑考=人

そして今日も考える。

使えない上司は自分でマネジメントするしかない

既に試験工程開始段階に入った矢先、設計の要件落とし込み漏れが立て続けに2件見つかった。いずれも私が担当する箇所である。何でも卒なくこなすと言われていた私にとっては、初めての失敗ということになる。

 

正確には何でもできているように見えていただけで、問題が顕在化していなかっただけなのだ。私自身、いつも自分のやり方に満足していなかったし、必ず不備はあるだろうと思っていた。ただ、どういう不備があるのかすらも検討がつかないこともあり、まぁやるだけやってみるか、ぐらいの気持ちで臨んでいた。

 

だから、仕事に不備があったとしても、自分の経験の浅はかさ故の問題であると真摯に受け入れるつもりだった。ただ今回のミスについては私にも責任があるとは言え、納得し難いものであった。直接的な問題は私の上司が問題を認識していたにも関わらず一ヶ月間何の対策も打っていなかったことにあったからだ。

 

泣きっ面に蜂で、あいにく上司が夏休みで不在の間に問題は顕在化した、私が主に担当している案件は、上司と2人で対応しているため、当然、私に問題点を突きつけられることになる。

 

正直なところ、私はその問題すら把握していなかった。もちろん、自分の担当業務について把握していなかったのは私の至らない点でもあったが、少なくとも上司であるならば、私への情報共有しかり、プロジェクトチーム内への問題のエスカレーションがあってもよかったはずなのだ。

 

結局、上司が帰ってきた今も私がその問題に大して対策を考えなければならない状況になっている。上司はというと、問題についてチームにも私にも詫びる気はなく、責任すら感じていないようだった。そして、再設計から本流の試験合流までのスケジュールを私がたった一人で検討していることを知りつつ、何のアプローチもかけてこない。

 

問題発覚時に相談した先輩は、私の今の状況を見て「言ったもん負け」だと呟いていた。問題に気づいた人が対応を考えないといけない。そんな風潮が当たり前にまかり通っているのである。だから誰も問題を大事に発展させない。特に私の上司はそんな感じだ。

 

チームが人を信じること、人を頼ることで成り立っているのだとしたら、私たちのチームは既に崩壊している。信じてはいけない人を信じざるを得ないし、頼ってはいけない人を頼らざるを得ないからである。

 

開発のPMはもっと先輩たちを頼ればいいと言う。でも、本当に頼りにしたいところは誰も頼りにならない。みんな手探りで進めている、といった感じだ。新しいことをやるのだから当然なのかもしれないが、自分の担当で手一杯なのだ。だから、頼ったところで、問題が発覚したら掌を返されるわけだ。

 

だから他人に頼るのはやめよう、では昔と何も変わらない。また、人を一切頼らずに仕事を進めていくのは残念ながら不可能である。最近は自分一人のキャパシティも見えてきた。一人一人について、どんな分野は頼りにできて、何を頼ってはいけないのかを明確化することが必要だ。

 

例えば、一緒に仕事をしてきた私の上司は、システム仕様に関する知識は豊富なので、辞書としての頼り方はできる。ただ、問題が発生した時の判断力や、全体を俯瞰的に見る力というのは圧倒的に不足している。会議での発言も根拠のない物言いが多く、楽観的に物事を進める傾向にある。

 

そもそもこんな人間がマネジメントをしている事自体が本来はおかしいのだが、日本組織ならどこでも同じだろう。私が彼をマネジメントするしかない。