∑考=人

そして今日も考える。

人狼と会議に共通するファシリテーション

結構前に「人狼」というゲームが流行ったことがある。市民チームの中に人狼が2人紛れ込んでおり、市民は人狼が誰かを当てることができれば勝ち、人狼は市民全員を殺すことができれば勝ち、というものだ。その中に占い師や騎士など、特殊能力を持つ人がいることでゲームの展開は面白く、難しいものになる。

 

で、人狼のような騙し合いのゲームと聞くと、多くの人が心理戦のゲームだと考える。いかに自分の心理を悟られず、相手の心理を読み取るか。心理戦が上手い人がこのゲームにおいては強者になる、そう考えるのだ。確かに、個人の戦いであれば成り立つ考え方だろう。

 

しかし、ことのほか人狼というゲームにおいて、勝敗を決めるのは心理ではない。たとえ、自分1人だけが誰が人狼かがわかっても(あるいは自分が人狼なら誰が占い師かがわかっても)、その主張を通すことができなければ、自分の思い通りにゲームを進めることはできない。

 

本質的に、人狼ゲームで鍵を握るのはファシリテーションスキルである。誰が人狼なのかを自らが突き止めようとする、のではなく人狼をあぶり出すための施策を場に対して提案する、そんなイメージである。さすがMC慣れしているだけあって、テレビではロンブーの淳とかが非常に巧みである。

 

このあたりはまさに社会人の会議の縮図である。ファシリテーターが自分の意見を主張しすぎると、複数の批判意見が自分へと向けられることになり、議論が進まない。人狼ゲームの場合、そもそも主張の裏側に怪しさを読み取られてしまい、追放されるというパターンも多い。自分の思い通りに進められないのだから、当然良い結果にはならない。

 

むしろ、多くの人に意見を出させる、みんなが判断できない状況に陥ったら、判断材料を増やすための別の切り口や進め方を提案する。こういったニュートラルな立場に身を潜めておくと、すんなり自分の発言や提案が参加者に受け入れられやすくなる。人狼ゲームの場合では、無意識のうちに市民だと思われやすくなる。

 

もちろん、言うは易し行うは難しであるが、集団での合意形成にあたっては必ずしも自分が最強のプレーヤーである必要はないのである。