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そして今日も考える。

バカな人は意思決定ができない、賢い人は決断ができない

現代の日本人は意思決定ができる人が少ないと言われる。結婚するべきか結婚しないべきか、今の会社を続けるべきか転職するべきか、新たな市場へ投資するべきか既存の顧客との関係を良好にしていくべきか、あるいは今日のお昼ご飯は和食にするのか洋食にするのか。

 

日本には優柔不断という便利な諺があるせいで、意思決定ができないのは全てそういった性格のせいにされてしまいがちだけれど、本当はそうじゃない。単純に頭が悪いからだ。

 

そもそも意思決定とは、ただ単に決めるのではなく、”どうするべき”か決めることである。それは複数の方法の中でどれが最も良いのかを決める、ということだ。ここに決断との違いがある。

 

そして、自分の理解を超えることについてはいくら考えたって”どうすべきか”なんてわからない。

 

例えば、例えば無人島で餓死寸前のあなたの目の前に、カラフルなキノコがあったとしよう。その場合、それを食べるべきか食べないべきかを決めることはできるだろうか。

 

もちろん、この問いに正解はないが、食べない方を選ぶ人が多いのではないだろうか。それはカラフルなキノコ=毒キノコというイメージや認識を持っているため、死のリスクが頭を過るからであろう。食べると死ぬ可能性が高いことを知っているから食べないという意思決定を下せるのだ。

 

あるいは毒キノコという存在は全く知らずに、とにかく食べ物を見つけたのだから食べるという人もいるかもしれない。でも、これもキノコが食べ物であることを知っているから食べるという意思決定を下せるのだ。これが石とか土なら食べたりはしない。

 

こんな風に、意思決定をするためには、その行動をとった場合にどんなメリット・デメリット(リスク)があるのかをよく理解している必要があるのだ。これが意思決定の基本である。

 

ただし、この場面で「いやいや、俺ならもっといい方法を選択する」という人もいるんじゃないだろうか。実際私がこんな場面に遭遇しても食べる食べないの2択からは選ばない。

 

例えば、その得体の知れないキノコを、近くの生物に食べさせてみて、死ぬか死なないかを観察する。死ぬのであれば、そのキノコが毒キノコである可能性がグッと高くなり、死ななければそのキノコは毒キノコではない可能性が高くなる。いろんな生き物に食べさせてもなお死ななければ、それだけ毒キノコではない可能性が高くなる。いわゆる毒味である。

 

これは直接的な知識を持っていなくとも、意思決定を下す”裏技”である。ただし、これも意思決定をするために必要な知識が何なのかを理解しており、その知識を得るために何をすれば良いかを知っていたから可能な方策である。

 

同じような意思決定の方法に”みんなの意見を聞く”というやり方がある。民主主義国家である日本の意思決定の主流はこっちだ。これも、自分では意思決定できない、すなわち意思決定をするために必要な知識を持ち合わせていない人でも意思決定ができる裏技的方法論の一つである。

 

ただし、これがベストな意思決定へと繋がるためには、「より多くの人が良いと考えるもの=より良い選択肢」であるという前提が満たされなければならない。でも実際はそうではないことが今の日本を見てるとわかる。

 

私は別に民主主義が間違った形だとは思っていない。でも、民主主義の前提として考えなければならないのは、「より多くの”良識ある”人が良いと考えるもの=より良い選択肢」であるということだ。ここでの”良識ある”とは、自分の頭で意思決定できると捉えてもらっていい。

 

少なくとも過半数以上の人が物事の本質を何も理解していないようでは、多数決で決めたっていい選択肢にならないのは当たり前である。ただし、良識ある人の多数決が必ずしも正解でもない、というところに複雑さがある。

 

また毒キノコの例で考えてみよう。私なら、まず別の生物に毒キノコを食べさせ、その結果をもとに意思決定を下すと述べた。その方が確実にそのキノコを食べるべきか食べないべきかを正しく判断できるからだ。

 

でも、これが一番良い方法だ、と考えるのは少し早い。なぜなら、これは本来の意思決定を先送りしているからだ。

 

例えば、ある生物Aに目の間のキノコを食べさせたとしよう。もちろん、すぐにその生物Aが死に絶えてしまえば毒キノコだと判断できるだろう。しかし、数分待っても死なないとして、即効性の毒なのか、数時間から数十時間経った後に体に回る毒なのかという別の判断を迫られることになる。

 

生物B、Cに同じキノコを食べさせた場合も同様だ。ここでももし、AとBは死ななかったけど、Cはすぐに死んでしまったとなった場合、結局そのキノコが毒キノコなのかどうかはわからないままである。もちろん、母体数を増やせば確率としては確からしいものになるが、絶対に安全とは言い切れないことになる。

 

そうこうして別の意思決定や判断に迷い、結局自分が餓死してしまう可能性もあるだろう。だとしたら、最初にキノコを見つけた時点で食べておいた方が良かったのかもしれない。特に今すぐ決めなければならない場合、闇雲に意思決定を先送りにする方がリスキーなのである。

 

バカな人は意思決定ができない、賢い人は決断に踏み切れないのだ。