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∑考=人

そして今日も考える。

知らない人と交流するのはそんなに良いことなのか

今日は事業部全体の飲み会があった。一応補足しておくと、事業部とは複数の部署から構成される少し大きめの事業単位である。総勢100名程度が参加した。

 

この手の飲み会が私は非常に苦手である。一年目を境に基本的には参加しないスタンスだが、3回に1回ぐらいの頻度で参加するように心がけている。一応、可能性への投資、と自分に言い聞かせている。

 

私の課長はこの手の飲み会に参加することを結構推奨している。できるだけ偉い人と話して顔と名前くらいは覚えてもらうように、とよく言うものだ。でも、偉い人が飲み会を通して私を認知してくれることはないと思う。飲み会の場で記憶に残るほどインパクトのあることはしないし、別に偉いさんだって若手の顔を覚えよう、なんて気があるわけではないのだ。私も別に偉い人に気に入られよう、なんて全く思わない。

 

あと、こういう飲み会になると、「なるべく知らない人と交流しよう」みたいなスローガンが投げかけられることが多い。ただ、蓋を開けてみると、みんな同じ部署の人と固まってワイワイやるのである。こういうあたりはもう日本人の特性なのだろうなと思う。逆に、私はこういう機会こそ、同じ部署だけどそんなに話したことのない人と話すようにしている。海外に行く前にまず国内に行った方がいくべきでは、という考え方なのだ。

 

今は多様性が求められる時代ということもあり、自分の知らないことを教えてくれる人と語り合うのは”良いこと”として推奨される傾向があるけれども、結局飲み会の場で、互いの価値観などをぶつけ合うところまでは発展しない。アメリカ人みたいに「私はこの問題についてこう思ってるけど、君はどう?」みたいな発言をされても皆困ってしまう。

 

本当に異なる文化を学ぶのであれば、何か共通の、価値ある目標を掲げ取り組むみたいなことをしなければ、何の意味もない。少なくとも、この「知らない人と会話する」飲み会を今まで何度か参加してきたし、それなりに話してきたけど、結局その場限りの人間関係で終わり、またその会話から何も学ぶことはない、というのが私の中での結論である。

 

だから、もうそんなに知らない人との交流を重要視する必要はないんじゃないかなと思う。どうでもいい人のどうでもいい側面を知って何になるのか。もちろん、それを面白いと思える人はどんどん参加すればいい。でもそういう催しを崇拝なものとか価値あるものとして位置づけるのは頂けない。何も学ぶものがないのであれば、せめて気の知れた人と話している方がよっぽど良い。