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そして今日も考える。

仕事へ行きたくない理由

大型の夏休みを頂き、地元に帰って旅行に行ってきた。明日からはこれまで通り仕事が始まる。

 

一般的に、休みの前日というのは凄く心が躍るものである。週末だけを楽しみに生きている人間もいることだろう。一方で、仕事が始まる前日というのは、憂鬱この上ないものだ。

 

ただ、私はあんまりこのような心理に納得はいっていない。仕事に行きたくないと思ってしまう理由は何なのだろう。

 

仕事は自分の意志とは無関係にやらなければならないものだからだろうか。仕事は辛く、面白くないものだからだろうか。

 

多くの人は仕事はつまらないもの、一方で休みは楽しいものだと思っている。休みは自分の自由に過ごすことができるから、なのだろう。ただ、私はあんまり休みの日が最高だ、と思ったことはない。仕事がやらなければならないものだというのなら、休みの日だってやらなければならないことは沢山ある。

 

それは、家事と呼ばれる仕事だ。男社会では「主婦」は職業として認識されないことも多いが、これは立派な職業だと私は思っている。人間が生きるためには、掃除、洗濯、料理、買い物、ありとあらゆるタスクで埋め尽くされているのだ。それは休日だって同じである。

 

仕事がつまらないもので構成されているから仕事へ行きたくないのなら、休みだって同じではないだろうか、と私は頭では思っている。なぜそういうものの辛さは表面化して語られないのだろうか。人が休みを語る時にはそういうタスクを抜いたほんの一部の時間のみを対象としているように思う。

 

私は長期休暇を取るときに、色んな地元の友人に会ったり、出かけたり、楽しい時間を過ごしてはいるが、新幹線に乗って移動する時間や、家族と同じ空間で過ごす時間など苦痛を伴う部分は結構ある。だから帰省するのが億劫になることも多い。(結局いつも帰るのだけれど。)

 

仕事がルーティン化されていて、つまらないものだと語る人は多いけれど、結局のところ、プライベートというものも年単位ではすっかりルーティン化されているように思う。もう社会人になってからの長期休暇の過ごし方どころか、季節ごとの楽しみ方も毎年同じだと言って差し支えない。仕事と休日のどこに差分があるのだろう。ようは単なる世間的なイメージに過ぎないのではないだろうか?なんて最近では思う。

 

究極的な違いはやはり人間関係しか残っていない。気の知れた友人と過ごすのが休日。僅かな繋がりだけでできている会社。確かにこの差は大きいだろう。もし会社が自分と仲の良い人間関係だけで成り立っているのなら仕事は楽しいのかもしれない。経験として、アルバイトの時はそういう感覚があったのも確かである。

 

あるいは、小学校とか中学校の時もそうだったに違いない。夏休みは楽しみではあったけれども、夏休みがもうすぐ終わることに対する楽しみもあったのではないだろうか。少なくとも私は、これでみんなに会えるな、という微かな期待があったように思う。

 

翻って、今はそんな期待がない。だからこそ、仕事へ行きたくないという感情に到達するのだ。会いたい人が沢山いればそこへ行きたいと思うのは真理である。