∑考=人

そして今日も考える。

負債との向き合い方

近年の人々は刹那的に生きるようになったと思う。時代の変化が激しくなったこととも関係しているのかもしれない。何十年も先のことを考えるよりも、目先にある2、3年、あるいは今を大切にする生き方を志望する人が増えたのではないだろうか。

 

仕事をしていても思う。なんというか、「今の開発を乗り切ればいいんでしょ?」みたいな人が圧倒的大多数で、その後のことは後の人が頑張れば?みたいな感じに考えている。こんな設計にすると維持が大変になることはわかっているけれど、今大規模な修正が入るのは大変だから、今回は暫定対処としましょう、みたいな。

 

日本という国に生きていても思う。奨学金が、とか待機児童が、とか色々問題はあるのだけれど、それに対して施策をうつのであれば、お金がかかる。知っての通り、日本は借金大国だから、そんな財源はどこにもないのである。昔、ビートたけしがとあるCMで言っていたように、今日本が豊かに見えるのは将来の分を先に食いつぶしているだけなのだ。

 

なぜ、私たちがこんな風になったのかと言えば、たぶんそれは私たち自身がそうやって過去の負債を押し付けられてきたからだと思う。少し前に上がった消費税だって、本来私たちの世代が払っているのはおかしいし、年金を普通に払っているのに、将来はもらえないかも、なんてのもおかしい。

 

やっぱり仕事でもそういうことはよくある。なぜ過去の開発の時にこんなめちゃくちゃな設計にしているんだ、とか設計書に記載がないじゃないか、なぜソースがちゃんと管理されていないんだ、とか言い出すとキリがない。本来なら今回の仕事の範疇ではないはずの仕事が大量に潜在しているのだ。

 

しかし、国も仕事も過去が完璧であるはずがない、と思った方がいい。というよりも間違っていることの方が多いと言っても過言ではない。すなわち何かを始める時点で、既に一定量の負債を抱えているのである。

 

あくまで姿勢としては、過去の負債を背負いつつ、未来への負債をなるべく残さないようにしないと、いつまでたっても負の連鎖は断ち切れない。