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∑考=人

そして今日も考える。

ゴールが見えたプロジェクト

仕事というのは2種類に分別される。一つはルーティンワークと呼ばれるもの。接客業とか販売業がそれにあたる。毎日毎日同じ仕事をひたすら続けるのだ。彼らは、小さな価値を毎日多くの人に届け、それらをひたすら積み重ねていく。

 

もう一つがプロジェクトである。プロジェクトの場合は限られた期間内に価値あるものを完成させ提供する仕事だ。時期によって仕事内容も変わる。プロジェクトの場合、1日だけの仕事には何の価値もない。ただ次の仕事に繋がるだけだ。そして、最終的に出来上がった完成品のみに本当の価値がある。

 

ルーティンワークには終わりがない。ルーティンワークが終わるのは、会社が潰れた時か自分が会社を去る時だけだ。変化のないルーティンワークをつまらないと感じる人もいるかもしれない。でも、ずっと今を続けていけることに安定や安心を感じる人もいると思う。

 

一方、プロジェクトには終わりがある。終わりのある仕事を「プロジェクト」と定義していると言ってもいい。会社が生き残っていようと、自分がそのプロジェクトにしがみつこうとしても、いつかプロジェクトは必ず終わる。プロジェクトには必ず期限があり、期限内に目的を達成しても達成できなくてもそこで終わりなのだ。

 

プロジェクトは変化があって面白い。一時的には退屈することもあるけれど、基本的に飽きることはない。予定調和な答えが導かれることも多いけれど、頭を使って最適解を考える機会もある。でも、プロジェクトは一時的なものでしかないから、期限が来れば何もかも変わってしまう不安定な仕事だ。儚さもある。

 

私のプロジェクトは終わらなかった。詳細設計まで完了したら、外部仕様が誤っていて、やり直し。期間が延びた。二回目の設計では別の機能追加も同時開発することになり、規模が拡大、当然また期間が延びた。

 

やっと迎えた試験工程真っ只中、お客さんの事業方針の変更により、今度は提携会社を変えることになった。さらに規模は拡大し、今度は要件定義からやり直すことになった。そして3度目の設計着手中、プロジェクトの中止指令が下ったのだった。ドストエフスキーの穴掘り拷問を受けている気分だった。クロージングを勧める中、途中で追加した機能追加分だけは継続して開発することが決まり、今に至る。

 

そんな激動のプロジェクト、初のプロジェクトも漸く終わりが見えてきた。

 

何かが終わる時、いつも嬉しさと寂しさの入り混じった複雑な気持ちになる。バスケ部の引退試合の直前とか、大学受験とか、あるいは大学院の修士論文提出、とか。やっとこのしんどい日々から解放される!という気持ちとは裏腹に、もう今までみたいなことはできないのか…という気持ち。

 

なんというか、1つの目標のために長期間努力をしていると、その努力自体に愛着が沸いてしまうからだろうか。あるいは、何かが終わる時は、大抵周辺の人間関係も変わってしまうからかもしれない。周りにいる人と「その後」の話をすると、「終わり」がより鮮明に浮かび上がる。

 

プロジェクトが終われば今のチームは解散になる。もちろん、追加の機能開発などがあれば継続して同じチームで開発をする場合も十分にあるが、今回はそれもない。また一緒に働きたいと思う人たちは既に異動が決まっている。

 

かくいう私も、別のプロジェクトにアサインされることになった。たぶん、これまでやってきたことのほとんどは役に立たない。0からのスタートになると思う。でも、少しは技術的な仕事に就けそうなので、その点については満足している。幸い、部署は変わらないため、評価がすべてリセットされることはないが、残念なことに相変わらず社会的意義は感じにくいかもしれない。

 

と、もう頭の中は少し未来のことを考えてしまっているがまだ今のプロジェクトが終わったわけではない。問題もまだ残っている。あともう一踏ん張りと思って頑張りますか。