「Webブラウザ」が無くなろうとしている。もちろん、私はプライベートでもバリバリPCを使っているので、ブラウザを使わない日はない。PCユーザーにとってはまだまだWebブラウザは重要なものである。
しかし、若い世代、スマホユーザにとってはどうだろうか。
もう少し前であれば、スマホからGoogleのトップ画面を開き、そこに文字列を入力して検索、そして目的のWebサイトに到達する、という流れが主流だったと思う。Googleの検索エンジンがあらゆるWebサイトとのインタフェースであったのだ。
でも、今は違う。例えばスマホでFacebookを見たいと思ったときどうするか。Googleを開いて、「Facebook」で検索?もうそんなことをする人はいない。スマホにインストールされているFacebookのアプリを開くだけである。
今はあらゆるWebサイトの提供側が、そこに直通するアプリを開発している。Webサイトごとに入口となるアプリを自分のスマホの中から見つけ出さなければならずに煩雑であるはずなのだが、なぜか今はこの流れが主流である。Webサイトごとに異なるアドレスを直接入力するのが煩雑だったからブラウザという仕組みが生まれたはずなのだが。
この現象が示唆するところは二つある。
一つは、所持しているアプリがその人の個性を表す象徴となりつつあること。つまりはファッション化しているのだ。
例えば、洋服ももともとは、暑さや寒さを凌ぐためのものでしかなかったが、現代では完全にファッションとしての側面の方が大きい。言い方を変えれば、無くても別に困らないものがほとんどなのだ。
スマホのアプリも無くても困らないものになっている。別にFacebookもInstagramも食べログもホットペッパーもブラウザ経由で閲覧することはできる。でも、そういう色んなサービスをアプリとして保持していることによる喜びのようなものを人々は少なからず感じているんじゃないかと思う。
もう一つは、またこの煩雑を取り払うための機能が今後求められる可能性が高いことだ。今のように、一つのサービス毎にアプリをインストールしなければならなくなると、すぐに目的のサービスに行き着くことがやがて困難になる。
こうなると、昔のブラウザに該当するサービスが必要になることは間違いない。ここらへんは音声認識機能の進化に期待がかかることだ。実のところ、既にアプリの名前を伝えれば対象のアプリを探すことなく起動することはできる。でも今はまだあんまり使われてないんじゃないか。
こうやって、時代によって煩雑さを求めたり、シンプルさを求めたり、真逆の方向に向かっていくさまはなんか面白いなーと思う。