∑考=人

そして今日も考える。

経験から学べるやつと学べないやつの圧倒的な差

ゆとり教育の申し子である後輩達を見ていると、最近は偏差値が高いやつ=経験から学べるやつではなくなってきているように思う。

 

偏差値が高いだけのやつは、自分がわからない問題に出会うと、せいぜいググるか、知っている人に聞くか、手順書を探すか、そこで止まる。そこで何も得られなかったら、どうすればいいでしょうか、と問う。もちろん、それでカバーできてしまう仕事も結構多いが、こんな仕事に大した価値はない。

 

経験から学ぶ人は例外なく試行錯誤をする。システムの使い方がわかりません、という前に、まずは画面のありとあらゆる箇所をクリックしてみて、どう画面遷移するのか、その画面で何ができるのかを学習していく。そうやって、じゃあこのシステムはこう使えばいいのか、と理解する。これが経験から学ぶということだ。

 

足すと5、掛けると6になる二つの数字は?と問われれば、ほとんどの人は方程式を使って解くことになると思う。知っている人に「どうやって解けばいいですか?」と聞いても、連立方程式を勧められるはずだ。

 

でも、この問題を解くのに方程式なんて必要はない。実際に試してみればいいのである。例えば、1と2だったらどうなるなるのか。足すと3、掛けると2。違う。試してみて違ったらなぜ違うのか、どう違うのかを少し考える。

 

足しても掛けても小さい値になっている、ではもう少し大きい値なのではないか、と仮説を立てる。二つとも3だったらどうなるかやってみる。足すと6、掛けると9。やっぱり違う。でも今度は大きくなった。なら1〜3の範囲にある二つの数字ではないか、と考えていくと、結局2と3の組み合わせだと気づくのにそう時間はかからない。

 

いつも方程式を使って解こうとする人間は、問題に立ち向かう中で成長することができない。なぜなら解法を覚えることでしか問題に対処できず、近くに解法を知っている人がいなければ手詰まりとなってしまうからだ。

 

一方、トライアンドエラーで答えにたどり着ける人間は強い。やってみて、その結果から情報を得て、その情報から分析し、答えの潜在する範囲を限定かしていく力があるからだ。正解のためのヒントが自分の行動とそれが引き起こした結果の因果関係に含まれていることを知っている。

 

子供の頃はみんなそうだったはずなんだけど、大人になるとなぜ経験から学べなくなってしまうのだろうか。