∑考=人

そして今日も考える。

燃え尽き症候群にどう対応するか

明日からリリース対応で地方へ出張することになった。念のため補足しておくと、「リリース」とは開発したシステムを市場へ初めて投入することを指す。つまりは、システム開発プロジェクトの終焉、というわけだ。同時に、私たちの仕事が全て完了することを意味する。

 

考えてみれば、社会人になってからは一度も足を止めたことはなかった。こなしてもこなしても様々な角度から生み出される仕事、降ってくる仕事。目の前の仕事を捌くのに必死だった。もちろん、休みはキチンと取れるのだが、私は抱えているタスクがあればついつい休みの日にも仕事の段取りなどを考えてしまうタイプだ。

 

抱えているタスクがたくさんある、という状態はあまり健全だとは思っていなかった。なぜ休みの日にまで仕事のことを考えなければ、と思った時もあった。しかし、いざ抱えているタスクが全て無くなってしまうと、結構退屈で、無気力状態になる。嫌なことからやっと解放された!という感覚は驚くほどに少ない。

 

俗に言う、燃え尽き症候群という奴だ。私は人生の節目節目で何かを頑張ってきた後は必ずこう言った精神状態に陥る。バスケを引退した時もそうだし、最初のバイトを辞めた時もそうだった。

 

大学受験時なんかは特に顕著で、大学合格が既に決まっているのに、無性に勉強したくなる時があった。まだ自分の中での自分が勉強した結果に納得がいっていなかったのである。とは言っても、目的がないのだから勉強する意味もなく、結局何も手につかなかった。たぶん私は何かにハマると、誰かに「ストップ!」と言ってもらえなければ、ひたすら完璧を目指し続けてしまうタイプなのだろう。

 

燃え尽き症候群というと、なんだかたいそうな病名っぽいけれど、私にしてみれば、一生懸命打ち込んできたことに打ち込めなくなったのだから、喪失感を抱くのは当たり前じゃないか?と思っている。慣れ親しんだ親友と絶縁して落ち込まない奴なんていないはずだ。逆に言えば、燃え尽きるということはそれだけ精一杯やったことの証でもある。

 

ただ、いつまでも燃え尽きているわけにはいかないのが人生である。特に仕事は会社がある限り会社員である限り永遠に続いていく。学生の頃は受験終わったから春休み、とか、期末テスト終わったから夏休み、とか、何かやり遂げた後のリフレッシュ期間みたいなものがあった。

 

しかし、社会人にはこの、「ちょっと休憩」、という概念が存在しないのだ。私も今週のリリースが終われば来週からは別のチームで、全くやったことのない仕事をやらなければならない。燃え尽きている暇なんてないのである。

 

では、急激に下がったモチベーションをどうやってあげればいいのか。

 

私の経験から言うと、低いモチベーションのまま、燃え尽きた状態のまま、何かに取り組め、という回答になる。もちろん、世間にはモチベーションを上げるための方法論がたくさん出回っているし、それらを試してみるのは一つの方法としては悪くないかもしれない。

 

ただ、個人的にはモチベーションなんてものは後からしかついてこないものだと考えている。そもそも、モチベーションなんか無くたって何かに取り組むことはできるのだ。「モチベーションがないので何もできません」、と全てモチベーションのせいにする人は、モチベーションがあれば全く苦しまずに何かに取り組めるという幻想を抱いているのである。はっきり言って、生きていて苦痛が伴わないことなどない。

 

やる気のない中、新しい情報を得たり、新しいことに打ち込み出すのは確かにしんどい。成長率もそれほど高くはないだろう。しかし少しずつ着実に今までの自分の中に変化を生み出すきっかけとして残っていく。理解度が高くなると、人間はその事象に少なからずハマっていくものである。何かにハマっていくと、それがモチベーションにも繋がるのだ。

 

モチベーションなんてなくても行動はできる。