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∑考=人

そして今日も考える。

ワーカホリック

前回の記事は、実は音声入力で書いた。HeySiri、OKGoogleなど、近年の音声入力の技術は目覚しいものがあると思う。シンプルに音声聞き取りの精度がかなり上がっている点が凄いと思う。

 

また、正しく音を認識するだけではなく、文脈から適切な単語を予測変換するし、文節の区切りも概ね問題はない。ここまでの精度になっていると、文字で入力するより音声で入力してしまった方が圧倒的に早く文章を作り上げることができる。

 

ただ、もちろん音声入力も完璧ではない。複数の単語を入力して検索、みたいな時にはもうほとんど何の障害もなく利用することはできるが、やはり長文を書く場合にはまだまだ音声入力では不十分に感じる点がある。

 

それは句読点である。前回のブログは読点(、)が一切入っておらず、非常に読みづらいものになっている。ちなみに句点(。)は入っているが、あれは後から適切な箇所にキーボードで入力しただけだ。リズムを工夫して発声しても、句読点までは予測しきれないらしい。今後改善を願うばかりである。

 

さて。話は変わって、過労死について。私もどっちかというと、過労死する可能性のある側の人種だと思う。社会人になってから意外と自分がワーカホリックであることに薄々気づいてきた。

 

真面目で責任感の強い人間が陥りやすいと言われるが、これは多分正しいのだろう。私は自分のことをあんまり真面目だとは思っていなかったが、社会にいる人の多くは不真面目で無責任である。

 

一番厄介なのが、「自分が何とかしなきゃ」みたいな考えのない人に限って、やたらと人の心配をしたり、助言を与えたりする。いや、あんたたちが全く頼りにならないからこっちが多少無理して仕事抱えるしかないんですよ、と言ってやりたいところである。

 

でもそうやって抱えこむと消耗する。おそらく、うつ病とかになってしまう人は全部頑張りすぎているんだろうと察する。

 

ただ、私は働き過ぎでうつ病とかにはならない気がする。全部をちゃんとやっているわけではないし。自分がちゃんとやりたいことだけちゃんとやっている、という感じだ。自分がちゃんとやらないと組織に影響がでかい、とかは一切気にしていない。影響がでかいなら尚更私一人に任せる方に問題があるし、何かあっても自分に責任がとれないことはわかっているので。

 

もちろん、抱える仕事の量は多くなってしまっているし、労働時間も相変わらず長いけれど、別にそこにあんまり問題意識はない。もちろん早く帰れるに越したことはないし、作業を効率的に終わらせるようには努める。でも、どうせ早く帰ってもやることはないし、うちは残業代もだいたい出るので、プラマイゼロだ。

 

そもそも仕事というのはすべて目的があるから、よほど嫌いな作業でない限り、あるいはよほど目的に共感できない限り、それなりにやっていて面白いものだ。こういう思考回路が、やっぱりワーカホリックなのだろう。

 

あくまで今ぐらいの労働量であれば耐えられる気がするが、今の2倍ぐらいの残業時間になったら会社辞めるだろうけど。