読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

∑考=人

そして今日も考える。

ノート何冊使ってる?

私が会社で使っているノートは今ので23冊目である。普通の一般のB5サイズ位のノートだ。私が入社して2年半ぐらいであることを考慮すると、だいたい一月に一冊は使っている計算になる。

 

「え、なんでそんないっぱいノート使っているの?」と驚かれることの方が多いので、たぶんこの消費量は一般的ではないのだろう。確かに周りの先輩たちを見ても、私ほど頻繁にノートが新しくなったと感じる人はいない。

 

加えて、私のノートは非常に汚い。たぶん私以外の人間には読めないぐらいの字で書いているし、構成自体もよく分からないものになっている。あんまり他人のノートを見る機会は少ないけれど、私のものよりはまとまっていることが多い。

 

でも、私は自分のノートの使い方が間違っている、とは思っていない。ただ、コンピュータに喩えるならば、一般の人は主にHDDとしてノートを使っているのに対し、私は主にメモリとしてノートを使っている。それだけのことである。

 

そもそも何のためにノート書いているのか。これを明確にした方がいい。たぶん、学校でちゃんと勉強してきた人は、先生に言われた通り、黒板の内容をノートに書き写すのが当たり前になり過ぎて、その意味を考えてこなかった人達だ。

 

先生が黒板に書いた内容を書き写す、というのはHDD的にノートを活用する方法である。あとで復習できるように、時間が経った時に教わった内容を見直せるように、情報として残しておくためのノート、というわけである。だから当然、綺麗な字で綺麗な構成で書いておくことが望ましい。

 

しかし、例えば、教科書に全く同じことが書いているならどうだろう。ノートに書き留めておく必要は全くない、ということになる。だからこの場合、ノートをとる必要はないのである。ちなみに私は高校生の途中でこのことに気付いてからは、一切ノートをとっていない。当然、学力にも何の影響も及ぼさなかった。

 

ただ、私は大学受験の時に膨大なコピー用紙を使って勉強をした。定かではないが、5000枚以上は使っている、と思う。演習問題を解いたり、単語を覚えるために一時的に使っていた。その時の自分が考えたり理解したりするためでしかないから、使い終えたらゴミ箱行きである。これがメモリ的にノートを使う、ということだ。

 

社会人になってからのノートの使い方も受験期のコピー用紙と同じである。情報を残すためには使っていないし、残すための情報があったら、電子ファイルとして残しておく。そもそもノートを家で管理してまた見直す、なんて今の時代にやってられるかよ、って感じだ。

 

ちなみに林修先生曰く、

いわゆる悪筆で、もじょもじょと謎の線を書きつける天才タイプは、溢れるアイデアに手や言葉が追いついていかない傾向がある。そもそもノート自体が、のちに人がみるための記録ではなく紙上で書きながらリアルタイムに思考するためのツール。つまり勉強は他人のためではなく、あくまでも自分のため。考えること自体が楽しいという脳の持ち主で、その延長上で勉強ができてしまう。

だそうだ。

 

ノートを綺麗に書くのはやめて、殴り書きでも沢山書いてみると、それだけ思考は活発になるんじゃないだろうか。