∑考=人

そして今日も考える。

組織に必要なのは「タバコミュニケーション」の関係

「髪切った?」

 

この一言を言えるか言えないか、言われるか言われないか。この差に人間関係のありようは露呈される。学生の頃であれば、嫌というほどこんなやり取りをしたはずだが、社会人になってから耳にすることもほとんどなくなった。これが友人か否かを分ける一つの指標になると個人的には思っている。

 

同僚は友達ではない

あなたが友人と話をする場面を想像してほしい。たぶん、その相手に共有する必要もなければ、その時に共有する必要もない。きっと、その話である必要もないだろう。中には相談ベースの会話もあるかもしれないが、友人とのコミュニケーションというのは9割以上が必要のない会話なのだ。

 

でも、私たちは必要のないコミュニケーションをとる。それは、友人とのコミュニケーションはそれ自体が目的になっているからである。コミュニケーションをとること自体に喜びを感じ、意味を感じる。それが友人関係というものだ。だから、先ほどの「髪切った?」なんて一見無駄に見えるやり取りにも意味が生まれるのだ。

 

翻って、会社の同僚や先輩、上司はどうだろう。必要のないコミュニケーションはあんまりとろうとしないのではないだろうか。みんな仕事もあるし、別に友人でもないんだから、コミュニケーションをとるのは必要性がある時だけ、と思っている人の方が多いはずである。

 

必要って何?

この、「必要がある時だけコミュニケーションをとる」スタイル。実は、チームで進めているプロジェクトの問題を引き起こすきっかけとなる大きな要因である。仕事の問題の9割はコミュニケーションが問題、とも言われるが、特に問題なのが、この日本型組織におけるコミュニケーションに対する暗黙のルールである。

 

新入社員として会社に入って、まず教わるのが報連相である。そして、この時点で多くの人が過ちを犯している。というのも、良い報連相の定義が「必要なことだけを必要なタイミングで伝えること」だからだ。

 

しかし、「伝える必要があるかどうか」を判断するのは誰なのか。「伝えるべきタイミングがいつなのか」を判断するのは誰なのか。言うまでもなく、これは新入社員自身である。にも関わらず、どういう問題については伝える必要があって、どういうことなら緊急で伝えなければならないのか、ということについては何も教えてもらえないことの方が圧倒的に多い。仮に聞いたとしても「それは自分で考えて」、みたいなことになり兼ねない。

 

必要性に対する認識を合わせられない理由は、何が必要で何が緊急度が高いのかが感覚依存で伝達できる形になっていないからだ。それは先輩や上司たちも誰からも教わることなく、独自の経験に基づいて判断軸を形成してきたから、ということでもある。

 

この結果として引き起こされているのが、必要性に対する考え方の差異だ。必要性に対する認識が揃っていないので、そもそも問題なのに報告されないとか、問題を報告するタイミングが遅くなるとか、そういったことが起こる。

 

また、必要かどうかを他者に任せるのはもう一つの危険性を孕んでいて、例えば、「相手に聞かれない限りは答えなくてもいいだろう」とか「問題があったら報告があるはずだろう」とか、受動的な思考に陥り兼ねない。問題の報告なんて誰だってしたくはないものだ。結局、解決までにロスが発生しプロジェクトが炎上する。

 

まずは問題の定義を明確に

一つのやり方は問題発生⇨問題報告⇨対策検討⇨対策実施までが円滑に行われるような仕組みをちゃんと構築してやることだ。おそらくほとんどの組織でやっているつもりになっているのだろうが、できていないのが現状である。というのも、上記で述べたようにほとんどの場合が問題発生⇨問題報告の時点でつまづいているからだ。

 

真っ先にやるべきことは、問題の定義を明確にすることである。問題かどうかの定義は「お客さんに影響があるかどうか」みたいなざっくりとした回答を平気でしてしまう人もいるけれど、こんな抽象的なものではいけない。これだと、自分はお客さんに影響がないと思ってました、みたいな感じで必ず漏れが発生する。

 

前提として理解しておきたいのは、意思決定をする際にはデータとロジックがセットで必要となることである。例えば、飲み会の幹事をする時に、店を決める場合を考えてほしい。最終的に予算4000円、20人席のA店を選んだとしよう。この場合、A店には「席数が20人、予算が4000円のコースがある」というデータ、飲み会の参加人数が18人、支払い可能な料金が4000円まで」というデータ、そして、飲み会の参加人数は予約可能な席数より小さくなければならず、また予算は4000以下でなければならないというロジックがあって初めて意思決定ができるのである。

 

よって、問題とは何か?を決定できるような事前にデータとロジックを揃えておく必要がある。分かりやすい例は進捗遅延=問題、という考え方である。そんなこと当たり前じゃないかと思う人もいるかもしれないが、この進捗が遅延しているかどうかが曖昧になっている組織は極めて多い。

 

例えば、一週間(5営業日)で一つの資料を完成させるというタスクがあった場合、4営業日まで全く手付かずでも、5営業日に完成させればいい(マイルストンさえ守ればいい)と考える風土の組織はこれを遅延とは考えなかったりする。あるいは単純に5営業日で完成するところまでしか計画として定義されていないと、4営業日でどこまで進んでいるべきなのかがわからず、問題として認識されない可能性がある。

 

逆に言えば、一週間で完成させるためには4営業日でここまでは終わっていなければならないという基準をキチンと定義しておけば、今日終わるべきところまで終わっていない、よって問題であると判断ができるようになるのだ。そして、判断のためのデータとロジックを意識合わせしておくことも重要だ。

 

コミュニケーションを設計する

断言するが、退屈で無意味に見える定例会議を毎週やっている組織が多いのは、仲が悪いからである。仲が悪いと、問題が明確であっても、話したくない人にはなかなか話しづらいものだ。問題の定義が明確化されたとしても、「別に今じゃなくても」と適当に自分に言い訳をし、報告のタイミングを誤ってしまうことはあるはずだ。

 

私は打ち合わせが大嫌いだったので、最初のプロジェクトでそういうった打ち合わせを完全に排除し、適宜メールで報告・相談というやり方をとったことがあったが、まぁ悲惨だった。既にプログラミングが完成しているはずの時期になって、実はこの内容では実装できません、みたいな報告があったり、上司が検討するはずの内容が止まっているのにもかかわらず、作業者は何らアクションをしてこなかったり、と。これも全てはコミュニケーションを設計していないことが原因だったのだ。

 

コミュニケーションルールを定めれば、報連相はしやすくなる。毎朝メールで進捗報告をする、でも週次で定例会議を開く、でもいい。ただし、これがうまく機能するためには、問題の定義が明確化されその判断軸が全体で共有されている必要がある。ここを疎かにしたまま形だけでコミュニケーションをとっているので、報告会の場では何も問題が報告されないのになぜかみんな忙しそう、みたいな状況になる。

 

コミュニケーションルールの弊害

コミュんケーションを設計することの重要性は上記で述べたが、実はコミュニケーションを固定化してしまうことによる弊害もまた大きい。そして、日本の組織はこのコミュニケーションルールの弊害をもろに喰らっているといえよう。

 

例えば、週一で進捗報告会を開くルールを定めたとする。すると、報告会の翌日に緊急度の高い問題が発生したとしても、「まぁ来週の報告会の場で報告するか」みたいな考え方になるのである。フレキシブルに対応できなくなってしまうのだ。

 

あるいは、そういうことを防ぐためにルールを厳格化し、毎朝進捗報告会を実施することにしたとしよう。すると、特に問題も報告するべき内容もないにもかかわらず、うち合わせを実施することになる。これは組織の生産性を下げる。誰もが無意味なことを理解しながら、形骸化して残る。しかし、弊害はあるものの、やっぱり今の組織では必要と言わざるを得ない。

 

理想はタバコミュニケーション関係

上で述べた方法論は、仲の悪い組織を前提とした対策の限界だ。なので、これ以上を求めるのであれば、人間関係にメスを入れなければならない。結論から言うと、「タバコミュニケーション」ができる人との仕事が一番やりやすいタバコミュニケーションで仕事を受注した、という風の噂があるように、タバコミュニケーションで問題の解決策が思いついたり、仕事の段取りが決まったりすることは本当によくある。タバコを吸っている時というのは、かなり自然体で話すことができるのだ。

 

というのも、タバコを吸う時は基本的に休憩中であるから、何を話してもいい。相手に気を遣う必要もない。また、喫煙者としての仲間意識みたいなものも芽生えたりする。こういう状況がいろんなことを話しやすくしてくれる。また、仕事の話をしていたって、すごく緊急性の高い話をしていたって、あくまでタバコを吸っている間はプライベートタイム、みたいな共通認識があるため、普段は言えないような本音レベルの話も提供しやすい。

 

こういうメリットを知って、社会人になってからタバコを吸い始める人もいると思う。個人としてのこういった対策は大いに結構だ。ただし、チームとしてこの「タバコミュニケーション」に近いコミュニケーションスタイルを実現するための方法を考える、という取り組み事例をあまり聞いたことがない。

 

すごく簡単な例としては、「1時間に1回は必ず5分休憩を取る」とかをルール化してもいいと思う。むしろ、「なぜ社会人にはお昼休憩しかないんだ?」というのが初めて社会人になった時の感想だ。実態として、休憩を取る取らないは本人の自主性に任せられているものの、非喫煙者は休憩も取らずにずっと働いていることが多い。あなたの職場もきっとそうだろう。はっきりいって不自然でたまらない。どんだけ真面目やねん、と。

 

むしろ、アルバイトをしている時は当たり前に1時間に5分休憩があった。休憩がルール化されているから、たまたま休憩時間が一緒になった人と喋る、みたいなルーティンが出来上がる。そんな日々をひたすら繰り返していたら知らない間にみんなとそれなりに仲良くなっていた、ということもしばしば。逆に社会人はこういうルールがないから、仕事で絡まない人とは一生しゃべるきっかけがないし、仲良くなるきっかけもない。

 

コミュニケーションを円滑にするために、すぐ飲み会とかを開きたがる偉いさんが多いのだけど、そんな大掛かりな会は不要。というか一部の人以外にとっては迷惑でしかない。酒に頼ったコミュニケーションは酒を失った瞬間に元の木阿弥だ。

 

そもそも、人間関係は時間よりも期間の影響を受ける。つまりは、丸1日、10時間一緒に過ごした人よりも、5分間の会話を120日続けた人の方が確実に親密になれる。勉強を反復的に繰り返した方が良い理由と全く同じで、記憶に定着しやすいからだ。

 

そんなわけで、飲み会を一回開くよりも、たった5分雑談をする機会を積み重ねる方がいい。さすがにコミュ障でも5分ぐらいの会話ならもつだろう。別にタバコミュニケーションを実現するために全員がタバコを吸う必要はない。それに代わるルールを作れば良いのだ。