∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

説明が下手?理解力が足りない?

会社の打ち合わせで誰かが説明を聞いている内容を聞いていて全くわからない時、逆に自分が説明する側に回って相手に理解してもらえない時、きっとあるだろう。説明が理解されない、というのはどんな場所でもよくあることだ。

 

この問題の原因はたった二つ。話し手の説明が下手か、聞き手の理解力が足りないか、そのどちらかである。でも、結局どっちが悪い、と白黒ハッキリさせるのは難しい。そもそも説明が下手でも理解力のある人が聞けば、あるいは、理解力が低くても説明が凄く上手ければコミュニケーションとしては問題は発生しない。両者は補完関係にあるのだ。

 

この、問題の根本をどこに求めるのか、が実は学生と社会で異なってくる。学生の頃、先生の話を聞いて理解できない人は理解力が足りない人、すなわち学生側の問題だと考えられることの方が多い。確かに、先生によってわかりやすいわかりにくいは当然ある。けれど、優秀な学生は先生の話を理解することができていたはずだ。

 

しかし、社会人になると、説明がわからないとなると、説明する側に問題がある、という判断になることが多い。相手の理解力のせいではなく、話し手に非があるとする考え方だ。特に、上司への説明、お客さんへの説明の場面でこの構図は顕著に表れる。

 

なぜ、こういった差が表れるのか。これは主従関係が逆だからである。

 

例えば、先生と生徒の関係。先生は生徒に勉強を理解してもらうために、生徒は勉強を理解するために先生の話を聞く。しかし、先生は生徒に勉強を理解してもらおうが理解してもらわまいが、別に大きな違いはない。(詳細を知っているわけではないが、クラスの平均点が高いからといってボーナスが増えるわけでもないだろう。)

 

反対に、生徒の方からすると先生の話を理解できるか理解できないかで、進学する高校、大学、さらに言えばその後のキャリアも大きく変わってくる。(もちろん、全ての人がそう考えているわけではない。)つまり、生徒の「理解したい」気持ちの方が、先生の「理解して欲しい」気持ちよりも上回っているのだ。これがすなわち、先生が主で、生徒が従、という状態である。

 

しかしながら、社会で自分がお客さんに説明をする時。この場合は、お客さんが主、自分たちが従となる。社会の場で説明をする場合は、ほとんどのケースで、相手に何らかのアクションを取ってもらうためである。わかりやすいのは企画書の提案など、その説明如何によっては、受注できるかどうかが決まる、という場合などだ。

 

私たちが「売り込みたい」という気持ちの方が、お客さんの「買いたい」という気持ちよりも強い。(お客さんからすればメリットのある提案なら受け入れるが、その検討とか理解には時間・コストを掛けたくないのが普通。)だから説明する方が相手に理解してもらうための工夫をしなければならない構図となる。

 

もちろん、学生と社会人の違いとして述べたが、塾講師と生徒の関係や、BtoC企業の場合など、主従関係が反転するケースもある。(例えば、iPhoneの説明が不十分だって、ユーザの方の使いたい気持ちの方が強ければ、自分たちで調べるだろう。)大切なのは、主従関係がどうなっているのか、だ。理解できなかった時に一番困るのはどちらなのか、ということなのである。