∑考=人

そして今日も考える。

好奇心を取り戻すには

会社の打ち合わせでとある質問をすると、「それは何を意図した質問なの?」と聞かれることがある。こちらからすれば、まず自分なりに意味を解釈した上で質問に答え、その後で意図を確認してほしいものだが、平気で逆質問をしてしまう人がいる。

 

大学の講義などではいきなりこのような切り返しをされることはまずない。別にどんな意図であったとしてもそれを知りたいという学生の好奇心に答えることが重要だからだ。しかし、ビジネスの現場では、目的のない質問は排除される傾向にある。それは仕事が理解ではなく、成果を目的とするものだからだ。すなわち、最小限の理解で最大限のアウトプットを出す、これがビジネスにおいては理想とされる考え方なのである。

 

だから、何にも知らない人が多い。私もそうだ。短期的な成果を出す上で、”理解している”ことは、それほど重要ではない。むしろ本当に理解する必要に差し迫った時に、「あの人に聞けばわかる」とか「あそこの設計書を読めばわかる」ということさえ把握していれば十分なのだ。そう考えられている。それを理解することに時間を使うぐらいなら仕事をしてくれ、という話になる。

 

これが好奇心を奪う元凶である。好奇心がないと、物事の理解は浅くなるし、行動の活力もなくなる。これでは能力の向上は最小化され、特定の分野に特化することもなくなる。サラリーマンにプロフェッショナルがいないのは、こういう文化的背景もあるんじゃないだろうか。

 

好奇心がないと新しいことができず、人生もつまらなくなる。大人よりも子供の方が楽しかったのは、好奇心を抑制されない文化の中で、好奇心を抑制しないだけの時間があり、色んな新しいことを学ぶことができたからだ。

 

だから、大人は好奇心を取り戻す必要がある。確かに、社会として、ルール上好奇心を持つことはあまり推奨されることではない。好奇心は秩序を乱す恐れのある発想だからだ。しかし、新しいビジネスを考えたり、価値を創造するフェーズでは、むしろ好奇心無くして行動することはできない。だって、「聞けば答えを教えてくれる人」も「答えの書いてある設計書」もないのだから。

 

そんなこと言っても自分の知らない世界に興味がない、という人は多いだろう。正確には、多少の興味はあるけど、それを深く調べるのは時間がもったいないと。私たちはこの情報社会の中で、調べることを毛嫌いするようになった。丸一日かけて何かを調べる、なんて今ではあまり考えられない。ネットで調べればほんの1分足らずで欲しい情報が手に入るのが当たり前だと思っているからだ。だから、自分で仮説を立てたり、様々な情報を収集したりすることを億劫に感じてしまう。1次情報を得るために行動することもない。私だってそうだ。

 

でも、そこは苦しい時期を超えるしかない。よく人間関係や性格などの問題に対する解決策として、「好奇心を持ちましょう」が提示されることが多いが、これは実は問題の裏返しでしかなく、好奇心を持つためにどうすれば良いかがわからないので、好奇心の持ちようがないのだ。

 

ではどうすればよいのか。苦労して新しい知識を取り入れる、に尽きる。実は、好奇心というのは、自分が全く知らないものに対しては強く働かない傾向がある。少し知っているけれど知らない部分がある、つまりは無知を自覚しているものに対して好奇心を抱くのだ。

 

例えば、ミステリー小説は好奇心を煽るタイプの作品である。中盤あたりから結末が気になって止まらなくなる。ただし、序盤は背景となる人物についての情報をインプットするだけなので、はっきりいってそれほど面白くはない。ただし、そのインプット情報があるからこそ、中盤で事件が発生した時に、犯人は誰なのか、彼らがどうなるのか、が気になるのだ。

 

小説やドラマなどの作品は好奇心の煽りと知的欲求を短時間で満たしてくれる。当然、苦労する時間は短い。しかし、人生でもこの構造は変わらない。始めに苦労して学ぶ時期を設けると、好奇心を持てる幅はきっと広がる。まずは新しい知識を取り入れるところからスタートしてはどうだろうか。

 

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