∑考=人

そして今日も考える。

まず、「できます」と言おう。

子供の頃は、きっと不言実行の方が相手に好印象を与えることが多かった。普段はおとなしいのにサッカーは上手いやつ、根暗なのに音楽の時間に歌を歌うと上手いやつ。能ある鷹は爪を隠す、ではないが、本当に能力のある奴ほど、自分の能力を誇示しないものだと思っていたし、そういう人の方が好印象だったと思う。

 

でも、社会に出ると、こういう人たちは誰からも目を当てられず、単なる普通の人、で終わってしまう可能性が非常に高くなる。なんでかって。それは機会の平等性が子供の世界と大人社会では全く異なるからだ。

 

子供の頃は、みんなが同じように様々な科目を勉強し、色んなスポーツをやり、芸術などに勤しむ。だから、否が応でも、自分の能力が人目に晒される機会があったわけである。しかし、仕事の機会というのは全くもって平等ではない。自分で起業でもしない限り、その時、その場所でやらなければならないことを仕事としてやらされるだけだ。基本的に自分がやらされる仕事は他人はやらない仕事である。

 

そんな限られた範囲ではあるが、仕事の中には当然つまらないものと面白い要素が詰まった仕事がある。では、面白い仕事(ここでは難易度の高い仕事のことだとする)が誰に与えられるかというと、その仕事が出来そうな人物に与えられるのである。つまり、その仕事をできる能力があるのかないやつなのかは全く関係ない、ということだ。

 

もちろん、過去の実績なども参考にはなる。ただ、過去と全く同じ仕事をする、ということはないし、全く新しい事業を始める場合にはそもそも皆が未経験、という場合だってある。そんな時、何を頼りに仕事を任せる人を決めるのか。それが自信であり覚悟である。

 

自信と覚悟を示す、実に簡単な方法がある。まず、「できます」ということだ。

 

もちろん、できる根拠などはない。そもそも未来の出来事について100%断言することなんて不可能である。それは周知の事実である。にもかかわらず、「できます」ということの意味は?自信と覚悟を相手に示すことだ。未来にコミットするというと表明なのである。

 

これはプロポーズと全く同じである。永遠の愛を100%誓うことなんてできない。ただそれでも誓うのだ。極端な話、ハッタリでも構わない。でもベストエフォートで努力はするという覚悟を貫く必要はある。ただ、無理だったとしても平謝りして離婚するしかできない。

 

仕事で失敗したって、謝って怒られるだけだ。失敗しなければ、一つあなたの実績ができるし、こんどはその実績があなたに仕事を任せる裏付けにもなる。

 

まず、「できます」と言おう。