∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

「モヤモヤした何か」を形にすること

とりあえず、コンサル工程は一旦成果物しては完成させ、一段落がついた。結構、これまではあんまり使ってこなかったような頭の使い方に少し疲弊はしたものの、良い経験にはなったと思う。感想としては、苦しいが面白い。ただ、今回は実質タダでの仕事だったので、苦しさはマシな方だったと思う。あとは最終結果についての報告会を実施するのみ。説明してボコボコにされてきます。

 

つくづく思ったのは、モヤモヤしたものを形にすることが自分は好きなのだということだ。これまでの仕事はどちらかと言えば、既に仕事の形が決まっていて、作るものも決まっていて、あとは具体的な内容をどう埋めていくか、という作業に尽きていた。こういう作業も初めのうちはそれなりに思考の余地はあるのだれど、経験や知識が増えていくと、ある程度のパターンが見えてきて、単調になっていく。

 

けれど、今回は「何を作るのか」を決めるために考え抜き、モヤモヤとした何かをじゃあ具体的にはどう作るのかという視点で試行錯誤を重ねて進めていけるのは良かった。慣れない作業だから抵抗はあったけれど、やってみれば意外とできるもので、できてみるとこれが意外と面白い、という。

 

システムを作りたいとか、プログラミングが面白い、という私の根底にあるのは、たぶんこの「モヤモヤした何か」を形にすることへの関心だったのだろうと思う。今思い返しても、プログラミングが面白いと初めて思ったのは、大学院の時の研究でまさに自分が作ってきたものが可視化された瞬間だった。空想や構想、理論が感覚として認知できる状態になった瞬間が一番良い。そこに作品性が生まれる点が個人的にはポイントが高い。

 

別にプログラミングだけではない。「モヤモヤした何か」を形にするというのは、ブログも全く同じなのだ。だから、SE以外の仕事だったとしても、作るのがパワポであっても、モヤモヤしているからこそ面白いのだ、という発見はできた。何度やっても難しいんだけど。

 

一方で、既に大方フォーマットの決まっている何かを作るのは、簡単で楽だけれどやっぱり味気なくなってくる。抽象度が低い仕事というのは、自分の裁量を発揮しにくいから、結果的に面白くなくなってしまうのだろう。会社の中で「システム開発に飽きた」という境地にたどり着く人がいるのも最近はなんとなくうなづける。

 

個人的に一番思うのは、仕事の成果の中に”自分”を見出しにくい。これを私は「作品性のない仕事」と呼んでいる。要するに、システム開発に携わったとしても、「これって私が作ったと言えるのか?」という問いに疑問が残る。

 

幸か不幸か、今後はこういった枠組みの中のパーツを埋めていくような仕事は淘汰されていく。単調な仕事やある程度パターン化された仕事はAIなどに置き換えられていき、面白い、けれど難しい仕事が残るようになっていくはずである。モヤモヤした何かを形にする、という作品性のある仕事も今はまだ健在だ。

 

ただ、モヤモヤする何かを超具体的な形に落とし込む必要すら今後は無くなる、あるいは価値の低い仕事になっていく。システム開発で私たちがやっているのも、ある程度設計を具体化するところまでで、実際に動く形にまで仕上げている(プログラミングをしている)のは委託会社の人たちだ。そのうち、こういった作業は自動化が可能になるし、自動で対応できる抽象度も時代とともに必ず上がっていく。

 

となると残るのは、事象からモヤモヤした何かを発見することである。今は課題解決よりも課題発見の方が重要視されているのは、結局そこには人間の意志みたいなものがある程度必要で、AIにはできないだろうとされているからだ。

 

いつまで、作品性のある仕事ができるのか・・・。