∑考=人

そして今日も考える。

頭はいいのに仕事はできないというカラクリ

あなたの身の周りにもいないだろうか。優秀な大学を卒業しているのに、ビックリするほど仕事ができない人が。きっといるはずだ。でなければ、「頭が良いことと仕事ができることは違う」などという格言が使われることはない。ではいったい何がどう違って、なぜ違うのか。

 

少し違う話を。

 

麻雀というゲームがある。私はそれほど麻雀を過去にやっていたわけでもなく、めちゃくちゃ強いというわけではないが、自分が少し強くなった、と感じた瞬間があった。それは、最初の手配を見て、「最終的にこの形にする」という形が見えるようになってからだ。

 

麻雀が強い人からすれば当たり前かもしれない。ただ、初心者のうちは「役なんて覚えていなくたってリーチをかければ上がれる」ぐらいの知識を盾に戦うものではないだろうか。で、リーチをかける、すなわちテンパイするためにどうするかというと、とりあえず、最初は字牌か端牌を切ることになるだろう。

 

すると、タンヤオっぽい形に向かうのだけど、たまに字牌が対子になったりして、何の役もつかないような手になる。あるいは7, 9で9を切った後に8をツモってフリテンになるから8も7も切る、みたいな無駄を踏むこともある。そして、ようやくテンパイにたどり着いても、リーチのみ1000点、みたいな。闇雲にテンパイだけを目指しても点数はほとんど期待できない。(麻雀を勧めてくる人は、テンパイさえ覚えれば麻雀はできるというけれど、非常に不利な状態であることは断言しておく。)

 

もちろん、それ以外にもちょっとした牌効率や、振り込まない技術などの個々のスキルも影響はするが、この、「最終的にどこを目指すのか」を心得ている人とそうでない人の差はやはり大きい。例えば、ホンイツの形にすると決めたなら、不要な牌は残す必要はないから無駄打ちは減る。

 

端的にいえば、「戦略を持っているかいないか」がカギを握る。そして、これは仕事も全く同じだ。

 

学生時代に頭が良かったやつの半分ぐらいは、沢山勉強してきたタイプである。つまり、勉強量で勝負した人だ。実は勉強時間をいくらでも捻出できるような環境では、受験において戦略は不要である。特に頭の良い人間ほど戦略はいらない。なぜなら、受験の最終目的は全て100点をとることだからだ。そして全て100点を目指すための勉強時間があるなら、戦略がなくたって成し遂げてしまう人もいるだろう。

 

高校1年から塾に通って勉強するようなやつらは、「とにかく頭がよくなること」あるいは「定期試験で良い点をとること」を目標にしている。これは麻雀でいうところの、とりあえず、字牌・端牌を切るというのと全く同じ考え方だ。とはいえ、この手法でも結果的に受験に合格できる人はいるだろう。ただし、それは戦略的思考なく手に入れたものにすぎない。

 

「戦略とは何をやらないか」を考えることにある。そして、それは目的と期間(リソース)が決まっているからこそ、必要となるものだ。逆に、何の勉強もしてこなかった人が3ヶ月で東大に入るには必ず戦略が必要になる。

 

例えば、私は受験勉強は半年もしていないので、「やらない選択」を沢山している。漢字の勉強、参考書に出てくる英単語の暗記、二度問題なく正解できた問題は二度と解かない、など。全部勉強していたら成績など上がらない。

 

純粋な勉強量とスペックだけで勝負してきた人は残念ながら仕事には向かない。仕事上では、常にリソースは潤沢ではなく、全てを100点満点にはできないからだ。