∑考=人

そして今日も考える。

「自分にとって大切だったもの」の変遷①

あなたにとって一番大切なものは何か。

 

子供、妻、恋人、あるいは家族や友達。そんな解答が多いのではないか。でも、正直に言うと、私はこういう解答をあんまり素直に受け入れることはできない。いや、もちろんこれらの類のものはとても大切だとは思っている。

 

しかし、例えば、こんな風に質問の仕方を変えてみる。

 

あなたが一番大切にしているものは何か。

 

こう問われた時に、果たして家族や友人、そういった類の人間関係を一番大切にしているわけではないような気がする。この意見には共感する人もいるんじゃないだろうか。死ぬ直前になって、「もっと家族を大切にするべきだった・・・」と嘆く人も多い。

 

ここで、ほとんどの人は、「大切なもの」と「大切にできない自分」のギャップを感じた時に、「大切にできない自分」が誤っているのだと考えるのだと思う。家族を大切にすべきなのに、仕事を優先してしまう自分がダメなんだ、と。

 

だが、私は逆の視点で考える。要するに、「大切なもの」が誤っているのだ。世間で一般的に語られている、家族、友人などの綺麗な言葉は誰が聞いても大切だと納得するような言葉であるが、こういう、「正解のない答えに対する満場一位の意見」ほど怪しいものはない。

 

そして、それらを盲信することで、「自分にとって本当に大切ななものが何なのか」を考えずに生きていく人がほとんどだろう。あるいは、考えてみたところで、既に正解らしき一般論へと回帰してしまうのがオチだ。だから、「考える」のではなく、「思い出す」アプローチを取ってみてはどうだろうか。

 

過去の行動や思考は価値観に基づくものである。これまでの人生をたどれば、共通した考え方やあるいは変遷のキッカケを見出すことができる。今考えて結論付けるよりも、よっぽど論理的な導出方法だろう。

 

例えば、私の場合。

 

小学校の時はただ強くなりたくて、筋トレとかをしてたのを覚えている。喧嘩に負けるのがいやだったし、身体能力が高ければ友達と遊ぶ時に自尊心を虐げられないと思ったからだ。(私たちの子供の頃はまだゲームよりも外で遊ぶことの方が多かった。)逆にいえば、友達のグループの中で自分の価値を認められたいとか、周りと同じようになりたい、そういう欲求が強かったのだろう。正直、勉強は得意だったが、勉強ができることの価値なんて一度も感じたことがなかった。

 

中学校ぐらいになってもこの考え方はあんまり変わらない。運動神経がよくなりたいと思ってバスケ部に入った。スポーツが全然できない自分が嫌だったのだ。これは今考えても人生の中でもっとも正しい決断だったと思う。バスケットボールができるお陰で、実にたくさんの友達と同等に仲良くすることができた。ちなみに私がスタメンになったきっかけはテストの点数だったので、テストの点だけは確実にとるようにしていた。

 

ただ一つ、スポーツができるようになっただけではモテない、ということもわかった。それ以降は、コンタクトにしたり、髪型を変えてみたり、ルックスなどにこだわるようになっていった。この時もやっぱり、勉強意外の要素に関しては、周りとの同質化を目的にしていたように思う。

 

このぐらいから、少し悪い方向に流れていった。真面目だと面白い奴ら、当時のイケてる奴らと仲良くできないと思ったのだ。そして、そういう生き方が当たり前になる頃に、自分の中に生まれた「ギャップ」がすごく良いものに感じた。

 

ギャップを大切にしたいからこそ、私は色んな悪いこと、危ないことに首を突っ込んでいったし、それでいて勉強は決して手を抜かなかった。自分の納得がいくアイデンティティが確立された気がして、人生が充実していた。自分には非がないと鷹をくくっていた頃でもある。

 

こんなイケイケドンドンの中二病のまま、高校入学を迎える。高校に入ってパラダイムシフトが起こった。今度は真面目でなければ仲良くなれないような風潮、真面目な方がかっこいい風潮。進学校なので、別に勉強で目立てるわけでもない。スポーツも同じだった。

 

そこに面食らったのは事実だが、自分の方が圧倒的に上な気がしていた。自分がこれまで生きてきた世界こそが世界だと思っていたからだ。だから、高校に入った時は打って変わって、そこに同調する気はさらさらなかった。「選民思想」といじられていたこともあったが、文字どおり、「おれはこいつらとは違う」とずっと思っていた節がある。まさに「尖っていた」という表現が適切だ。

 

高校に入ったぐらいからは「笑い」というものを意識し始めた。面白い友人と出会ったのがキッカケであるが、何より、中学の頃に比べて面白い奴が圧倒的に少ないと思ったからだ。そこで自分の価値を発揮しようと思ったのだろう。テストの点が悪いだけで笑いが取れることもあり、この頃から勉強は一切しなくなった。

 

バスケ部には入っていたが、あんまり上手くなろうとかそういう気持ちは薄れていった。私はそもそもバスケットがめちゃくちゃ好きだったわけではなく、運動神経が人並みになればいいと思っていただけなので、しんどい練習の中でさらに頑張るモチベーションはなかった。とは言え、どこにも所属していない状態は嫌だったので、最後まで続けた。

 

たぶん、受験が始まるまで私が大切にしていたのは、当時の彼女だけだと思う。生まれて初めてのちゃんとした恋愛で楽しかったのだろう。傍目にはそんな風に映らないようにしてたけど、高校時代の記憶の大多数を占めている気がする。

 

部活を引退して、すごく暇になった。周りはというと、予備校に通いだして受験モードになっていた。私はあんまり大学に行きたいと思っていなかったので、高校3年の夏休みはここだけの話、ウイニングイレブンというサッカーゲームをひたすらやっていた。けれど、結局虚しくなって、止むを得ず勉強を始めたのを覚えている。退屈に負けたのだ。

 

案の定、模試の点は非常に低かった。でも、自分は頭がいいと思ってたので、次は勉強して、良い点を取りたいと思った。母親とかクラスメイトとかを見返したかったのだ。そこから私は勉強しかしていない。問題をとくのも、自分が賢くなるのも、それを知って驚くクラスメイトを見るのも面白かったから結局受験直前までとまらなかった。

 

長くなったので第一弾は以上。