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そして今日も考える。

むしろ休日の方が辛いという

最近、休日がつらい。というか極めて退屈だ。

 

社会人になってしばらく経つと、仕事の限界、みたいなものが見えてくる瞬間がある。それは産業形態だったり、会社の方針であったり、組織内での地位だったり、簡単には変わることのないルールを前に自分の無力さを知るのだ。そうやって誰もが仕事に対する夢や希望を少なからず諦め、折り合いをつけているのだと思う。

 

また、苦痛な仕事や役割を急遽与えられることだってある。そんなこんなで、仕事ってつまんないなと思うようになり、休日を欲するようになるのだ。「早く休みになること」をひたすら望みながら日々の仕事をこなしていき、日曜日の夜になると、仕事にいくのが嫌で憂鬱な気分になる。ブルーマンデー症候群だ。

 

私も社会人になるまでは、ブルーマンデー症候群になんて絶対になりたくない、自分の好きな仕事をするんだ、と軽く意気込んでいたものの、現実の前に消沈し、しばらくは憂鬱な休日の夜を過ごしていた。

 

ただ、最近はむしろ「休みがくる」ことに対して、楽しみを感じなくなっていた。もしかすると、しばらく前からそうだったのかもしれない。

 

休日にできることといえば、友人と遊んだり、ゲームしたり、動画みたり、美味しいものを食べたりと、なんというかもうほとんど根本的に飽きてしまったことしかできないし、大して新しい発見もなく、まぁどちらかといえば面白いけど別にやらなくてもいいならやらない、ぐらいのことしかできないからだ。

 

こういうことを一生楽しみにして生きている人はきっとごまんといるんだろうけど、私はやっぱりそれだけを望みに生きていく、というのは辛い。逆説的に考えると、実は今の仕事は相対的に結構面白いのだとも思う。仕事が本気で辛かったり面白くない時は、少なくとも何もしなくても良いこととか、友人と話している時の方がよっぽど面白く感じられるから。

 

正直、今の仕事は私がやりたいと考えていることとはかなり違っているけれど、面白いと感じる根っこの部分は包括されているのかもしれない。昔就職活動をした時に、「具体的な興味・関心は時代とともに変わるからそれだけで仕事を選ばない方がよい」という話を聞いたことがあったが、まさにこれに近い感覚なのだろうと思った。

 

あとは、たとえ無駄でも何かやってみることは大切だ、ということは再認識した。ゲームとかクソつまらないけれど、ちゃんとやってみると以外とはまるし、今こうやって書いているブログも正直何の役にも立たないけれど、考え出してみると、少しずつ面白くなっていく。

 

希望学」の観点からも、無駄なことをやってみるのは大切だそうだ。時間や余裕がなくなると、どうしても無駄を排除してしまいたくなるけれど、逆に退屈や暇を感じたら無意味なことを改めてやってみる、でもいいかもしれない。

 

 

希望のつくり方 (岩波新書)

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