∑考=人

そして今日も考える。

ゲームに学ぶ無駄の価値

今色んなゲームがあるけど、ゲームがあれほどに色んな人に愛されているのは、「無駄」にも関わらず「真剣」に取り組む人が沢山いるからだ。

 

私も実はスマホのゲームを結構やっていた時期がある。パズドラとかグラブル、みたいな一生終わりのないゲームは決してやらないけれど、やり切り型のRPGゲーム(ドラクエとかファイファンみたいな)は割と好んでやっていた。

 

ただ、RPGゲームをやっている時に「面倒臭さ」を感じるようになった。例えば、戦闘時に攻撃するのか魔法を使うのかを選ぶ時、宝箱を探すために全マップを網羅的に歩き回る時。装備を一々買い替えたり、レベル上げのために沢山戦闘をする時。そして、これらは結局同じことの繰り返しだよな?と感じる時。

 

逆に私がRPGゲームで面白いと感じていたのは、「自分が強くなること」と「より強い的を倒せること」だけだった。そして、これらのスパイラルこそがRPGゲームの醍醐味だと思っていた。つまり、それ以外の要素は不要だと思った。

 

そうして、無駄を省いていくと、クリッカーゲームというものに一旦落ち着いた。簡単に言えば、連打するだけでレベルが上がって、連打するだけでボスと戦える、特にマップなどの要素はないので歩き回る必要もないし、宝箱を探す必要もない、というゲームである。実に10000回ぐらいタップしていると思う。

 

ただ、このゲームを続けているうちに、「ボタンを連打する」という行為自体がめんどくさくなってきた。そして、行き着いたのが「放置系ゲーム」である。放っておいても主人公が歩き回って、ボスと戦い続けて、勝手に強くなって、勝手にさらに強いボスを倒すようになる。

 

最初は少し楽で良いと思っていたが、ここでふと疑問が生まれた。

 

「あれ?おれ何にもしてないんじゃ・・・?」

 

放置系ゲーム、というのは、単なる「監視ゲーム」であった。見ているだけだし、ゲームに縛られたくない私はもはや見てすらいなかった。「他人のやっているRPGを見ているほどつまらないことはない」とはよく言ったものだが、まさにそういう気分だった。その後、私はそのアプリを起動すらしなくなった・・・。

 

このエピソードの興味深い点は、ゲームから徹底的に「無駄」を排除すると、「面白さ」が何一つ残らなかった、という点である。

 

ゲームに関してはこれでもいいと思う。

 

ただし冗談抜きで、人生も全く一緒だ。

 

無駄を排除しまくっていくと、「面白み」が何一つ残らない。

 

別に嫌いなことを一生懸命やる必要はない。でも、「どうせ無駄だから」みたいなことだけを理由にやらない選択を続けていくと、ゲームと全く同じ状況になってしまう。