∑考=人

そして今日も考える。

優秀な人とそうでない人のシンプルな違い

「やり方を教えてもらっていないのでできません。」

 

「まだその業務は引き継がれていません。」

 

すぐにこんなことを言う人があなたの会社にもいないだろうか。私はこの手の人たちが苦手、というかはっきり言って嫌いだ。私だってやり方を教えてもらったことはないし、全ての業務をちゃんと引き継いでもらった覚えもない。それでもやっている。

 

新入社員ならまだいい。けれど、年配になってもこういうスタンスから抜けきれない人たちが驚くほどに多いのが実状である。そして、責任者になった時ですら、引き継がれていないことを嘆き、過去の担当者の愚痴を吐いたりする。

 

私は年齢関係なく、彼らのような人を無能だと思っている。なぜ、無能と言えるのかというと、自ら学ぶ気が全くないからだ。もし学ぶ気があるんなら、自分でやり方を調べていただろうし、それでもわからないならやり方をわかる人に聞いている。そして、自分ができるために必要な情報を手に入れる。これが勉強する、ということだ。

 

そして、優秀な人は例外なく勉強している。

 

もちろん、立場によっては必ずしも自分が理解することを求められないように感じられる場合もある。特にSIerと呼ばれる我々のような業種では、技術的なことは下請けのベンダがやってくれるので、特に仕事のアウトプットに自分たちの理解は必要ないと錯覚することもある。「丸投げ」と揶揄される、ただの伝書鳩のような人であっても、意外と現場の人の頑張りでチームとしては成果が出たりするから尚更だ。

 

しかし、こういう環境に甘んじて何もしない人はやっぱり無能である。理解するべきポイントは異なっていても、自分が理解しなければならないポイントは必ずある。それを見つけなければならない。それがないなら、その人の存在価値はない。

 

そういう人は、ビジネスに対して貢献する余地が全くないので、何も勉強する必要がないと勘違いしているのだ。結果的に何にも成長しないし、誰の役にも立たない。せいぜい労働力の足しになるかならないか、そんな程度だ。

 

他にも、今自分のやっている仕事が将来役に立たない、とか自分の関心と違うから、と学ばない人もいる。このケースは年齢にもよるだろうし、どこまで極めるのかという話もあるけれど、やったことがないならやってみた方が良い。私はどんな仕事でも人並みにできることを目指している。飲み会の幹事はやらないけれど。

 

関心がなくてもやった方がいいのは、結局「勉強」自体を勉強することにつながるからだ。

 

学生の頃、「こんな勉強が何の役に立つんだ?」と思って勉強してこなかった人と、「いつか役に立つかも」と思って勉強してきた人。10年、20年後、この二人どう違っているのか。

 

微分積分ができる、化学式を覚えている、英文法が使える。もしかすると、そういう違いも多少はあるかもしれない。でもそんなのは微々たるもんだし、日頃使っていない知識は月日とともに必ず忘れていく。私ですら、もう積分の公式とかほぼ忘れた。

 

では、本質的な違いは何か。それは、「勉強の仕方を体で理解している」こと、しかも、「目的達成のための勉強法を知っている」ということだ。勉強で学んできたこと自体はたいして重要ではない。

 

逆に「おれは学生時代勉強してきたから優秀なはず」という考えも捨てた方がいい。というのも、学生時代の勉強は正解をいかにして早くインプットするか、が重要であったのに対し、社会人ではいかにして正解を定義し、アウトプットを作るのか、が重要になるからだ。当然、勉強の方法論も結構違う。

 

 だから、社会人ならではの勉強法は社会人になってから身につけなければならないし、そのためには日々の中で勉強する姿勢が必要なのだ。それが、後々成果を出せる人と出せない人の差につながる。