∑考=人

そして今日も考える。

AI時代の予備校

前回AI時代の教育をテーマに思うところを書いてみたのだけれど。

n1dalap.hatenablog.com

 

今回は、教育と切っても切れない関係にある「予備校」について書こうと思う。

 

と、その前に。予備校の価値って何なのか。私は高校の時に予備校には通わなかったし、中学の時も終わりの方に遊び半分で半年くらい行っただけなので、本当のところはよくわかってはいないけれど、一度塾の価値を感じたのは、苦手だった国語の成績が飛躍的に上がったことである。

 

で、なんで高い点数が取れたのかを今更ながらに考えてみると、事前に解かされた予想問題に同じような問題が沢山あったから、だった。

 

先生方の「問いを考える力」が優れていたからなのか、過去の問題の蓄積量が凄かったのか、あるいはその両方なのかはわからない。だけど、結局のところ、これまで自分だけでは知り得なかった「問題と答えのセット」を知ることができた、というのが私の成績が上がった直接原因ってわけ。

 

つまり、良質な問題と答えのセットを与えられるという点は、少なくとも私にとっては予備校の一つの価値だったと言える。もちろん、それらを正しく記憶できるような指導とかも価値に含まれるし、そっちの方が一般的にはより重要なんじゃないかとも思う。

 

総じて言えることは、答えを教える、解法や考え方を教える、というのが今の予備校のやり方なのだ。ただ、それはじきに人間がやるべき領域ではなくなっていく。それを受けて予備校はどうするべきなのか。

 

もちろん、すぐに予備校が淘汰されることにはならない。大学が存在して、学歴が結局就職には有利である、という事実が揺るがない限り、難関大学の価値は残り、したがって予備校の価値も残る。

 

少し変化の余地があるとするならば、今まで講師が担っていた領域に対してAIを支援的に活用していくというのは十分ありえる。少し調べてみると、AIを活用した予備校の事例みたいなものがいくつかヒットする。

 

ただ上記みたいな悪あがきによる短期的な業績向上はできたとしても、「大学あっての予備校」という形を取っている限り、予備校はジリ貧の一途を辿っていくことになると私は思う。「大学受験って意味なくない?」ということに多くの人が気づき始めたら、今の予備校スタイルでは何一つ価値を提供できなくなる。

 

一つのシナリオは、予備校をラボっぽい感じにするということだ。教育が課題発掘、課題解決が中心になる前提で考えれば、それぞれの課題の分野のスペシャリストが予備校の講師を務める。学校ではファシリテーターを確保できてもスペシャリストの確保は物理的に厳しいので、そこに入り込むというもの。

 

ただ、そうなった時にやっぱり予備校はほとんどがオンラインが前提のプラットフォームと貸している可能性がある。個々の生徒たちの興味関心に合わせたスペシャリストなんて日本国内全体に広げても見つからないかもしれない。しかも完全に副業的なビジネスになるだろう。

 

実際のところ、教育制度自体が正しい姿に変わるまでに相当な年月がかかりそうな気もしているけれど、アップデートされないものが淘汰されていくことは心得ていたいもの。