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そして今日も考える。

生みの苦しみ

新規ビジネス創出・サービス企画。これらの仕事は、花形なイメージがあるかもしれない。確かに難しい仕事ではあるし、面白い部分もある。ただ、この半年くらいやってみて思ったのは、本当に泥臭い、ということだ。そもそも画期的なアイデアや斬新な発想が簡単に出るはずもないし、それらを本当の意味で使える形・売れる形にしていくのには手間もお金がかかる。

 

今の仕事を始める前に、「生みの苦しみを味わってこい」と課長から言われたことがある。確かに新しいことを考える、という時点でも苦しい側面はあった。そもそも仕事をどう定義するのか、仕事の進め方をどうするのか、アウトプットの結果をどう分析すればいいのか、全て考えなければならない。常に仮説を立てて、その通りにやってみて、ダメならブラッシュアップしていく、という繰り返しがベースにある。

 

ただそうやって、考えて自分なりの答えを出して創りあげていく、という活動は実は結構面白かった。この辺はアプリ開発とかにも似ている。理想の形を作る、理想を描く。こういうのは慣れてくると、稚拙だとはしても意外と考えられるようにはなってきて、形にできるようになると面白いのだ。

 

ただ、考えるだけ、で事が終わるならばいい。上述した通り、それは一つの仮説でしかない。「こういうことに課題意識を持っているから、こういうサービスを提供すれば売れるのではないか。」みたいな仮説を立てたとしても、実態はそんな上手くいかない。

 

そもそもユーザが課題意識を持っていない。すなわちニーズがない、という場合もあるし、サービスとしての価値を認めてもらえない場合もある。単なる心理的な抵抗を示されることもあれば、政治的要因に阻害されることもある。

 

これに対して、どういうサービスにすれば良いか?だけを考え直すのであればそれでも私は構わないと思っている。ただし、会社員である以上、そのサービスの中のパーツを自分たちが作る、あるいはそのサービスを展開する上での何らかの役割を担う必要がある。つまりは、そのサービスの中で自分たちが発揮できる強みを持っている必要があるのだ。

 

もし、その強みを持たないのであれば、自分たちでサービスを創出することはできない、ということと同義である。また、その強みとなりうる部分が自分たちのやりたい領域ではない、という場合も往々にしてある。はっきり言えば、今の私の状況がそうだ。

 

今の時代は一つの会社や一つの組織でサービスが完結することなど皆無に等しい。また、本気でサービスを考えるのであれば、適材適所でそれぞれの強みが発揮できる分野で仕事をした方が合理的だ。となると、強みがないのであれば、そのサービスの創出に関わるべきではない、と思う。ただのマッチング業者でしかない。

 

生みの苦しみとは、差し詰め、全体のサービス創出のためにどれだけ、割に合わない役割を引き受けられるのか、という部分も大きいと思う。