∑考=人

そして今日も考える。

「能力が高いこと」と、「パフォーマンスが高いこと」は完全に別である

今日は課長から夏のボーナスの評価を聞いた。結果は、

 

「期待通りの働き」

 

であった。つまり、普通ってこと。

 

「役職が着いた初年度は全員一律最低の評価をつけられる」という謎の社内規定によって、昨年は全く自分の働きが客観的にどうなのかがわからなかったので、ようやく純粋な評価がもらえると、ほんの少しだけ期待していたのだが・・・。世の中はそれほど甘くはなかった。

 

冷静に考えれば同じ役職内の相対評価で決まるので、年次が最も低い私の評価が低いのは当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、ここ半年くらいは自分の成長を割と実感できていた。若干の手応えがあっただけに残念である。例のごとく、課長からはエラい人へのアピールが足りないのでは、とだけ言われた。

 

私はエラい人に媚び諂ったり、過度なアピールをするのが得意ではない。というか嫌いだ。わざわざ社外で交流することは皆無に等しいし、仕事上で、必要な時だけ伝えたいことを言うだけ。それが私の最大限のアピールだし、そのスタンスで今のところ問題はないと思っていたものの、もしそんなことだけが原因で他の人に比べて本当にパフォーマンスが低いと思われているのは少し癪だなーとは思う。

 

でも、事実ベースでアピール云々ではなく、それほど高いパフォーマンスを出せていない、とも私は考えている。

 

そもそもパフォーマンスとは何なのか?資料を作るのが早い、成果物のクオリティが高い、プレゼンが上手い、そんなことを考えている人ももしかしたらいるかもしれない。確かに現場レベルであれば、そういう人はパフォーマンスが高いと考えられる傾向にあるだろう。

 

しかし、部長、事業部長、などレベルが上がってきた時にそんな話はどうだっていい。全て手段でしかないのだ。その結果チームとして何を成し遂げたのか?が重要で、その結果に対する貢献度が個人のパフォーマンスなのだ。

 

学生の頃は、「能力が高いこと」と「パフォーマンスが高いこと」は同じであった。試験で100点を取れるやつは勉強において能力が高い。そして、100点という結果自体がパフォーマンスである。二つは全く同じなのである。

 

しかし、社会人の場合は、この二つは完全に別物だと考えた方が良い。なぜなら、仕事によってパフォーマンスのレベルが左右されるからだ。たとえるならば、100点満点の試験を実施するのか、1000点満点の試験を実施するのかを仕事によって左右される。そして、ほとんどの仕事は人事によって左右される。

 

もし、仮に同じくらいの能力を持った二人だったとしても、解くテストの上限が10倍違えば、満点の働きをしたとしてもパフォーマンスも10倍の差が開く、ということなのだ。そして、評価というのは基本的に「能力」に対してではなく「結果」に対して下される。

 

良い仕事を自分から取りに行くことがいかに重要であるかがわかる。