∑考=人

そして今日も考える。

ミスった?

ワケあって、一人で過ごす日々が続いており、久しぶりに文章を書いてみようと思う。

 

ここ最近はというと、少し忙しい。いや、実際には昔ほど忙しいわけではないんだけど、もう昔ほどに働く体力がないので8時ぐらいまで働いているともう何もしたくなくなる。気力もない。

 

思えば社会人になりたての頃は、たくさん働けば成長できる、とか、いっぱい残業代が稼げる、みたいなモチベーションが少なからずあったけれど、最近は成長したから何やねん?と思う。所詮、成長したところ仕事は楽にはならない、ということに気づいてしまったから。

 

そもそも僕は本質的には楽をして生きていたい人間なので、楽になるための努力以外は基本的に苦痛を感じるタイプなのである。じゃあ何で転職なんかしたんや?と問われれば返す言葉もない。でもそうゆう矛盾を抱えてこそ人間、というものだろう。楽をしたい気持ちと退屈はしたくない気持ちの間でずーっと揺れている。

 

今は楽をしたい気持ちの方が強い。たぶん大変だから。ポジティブに言えば充実している、とも言える。きっと本当に楽になってみると、退屈だから新しいことをやりたいと思うのだと思う。これまでもそうだったから。もう一回言うけど今は楽をしたい。

 

そしてお金もそんなに要らない。お金はもちろんあればあるだけいいんだけども、お金以上に時間の方がほしい。給料を4/5にしてでも週休3日にしたいくらい。週休3日にしてひたすら休みたい。ほんで「暇すぎて人生つまらん」とか言いたい。しかしながら、少し前にありがたくもプロモーションしたので(管理職になったわけdじゃないけど)、給料は増えて時間は減る傾向になるだろう。

 

とは言え、仕事ができるというのはありがたいことではある。私は仕事が大嫌いだけど、仕事がないと何もない人生になるんだろうな、という感覚はある。休日は相変わらず動画ばかり見ている。暇すぎると仕事のための勉強とかしている。なんで休日にまで仕事の勉強、という気持ちもあるけど、それ以上に暇なのだ。

 

世の中の人は何が楽しくて生きているのだろうか、と思う瞬間がある。正直、東京に来てからなのか社会に出てからなのか、心から人とわかりあえたことがない。今の会社もそう。みんないい人ではあるけど、趣味嗜好が合わない。

 

というか、私は強い趣味や嗜好をもっていないので、人と繋がれない。社会に出るとバックグランドがみんな違い過ぎて、趣味や嗜好がないと繋がれないスキームになっているのだ。でも、趣味が一緒というだけで仲良くなれる、というのが私からするとずっと不思議。例えば温泉とかサウナとか好きだけど、温泉が趣味の人と仲良くできるかというとまずできない。

 

どちらかというと世の中をニヒルな目で見たり、趣味嗜好がない、という繋がりの方が仲良くできそうな気がする。けど、そういう人ってびっくりするぐらい少ないのよね。サイレントマジョリティな気もするけれど。

 

どこかで何かをミスったのだろうか。

さて、何をしようか

書きたいことがたくさんある気がして、なんとなくブロクを久しぶりに開いてみたのだが、いざ開いてみると何を書けばいいのやらわからない。日常的にブログを書いていた頃はあまりそんなことはなかったのだけれど、習慣がなくなってしまうと大抵のことはできなくなってしまうものだと改めて思う。

 

なんとなく最近はもやもやした日々を過ごしていて、ずっと生きていても無気力感が拭えないのである。平日の仕事はある程度慣れてきたことで少し飽きを感じ始めているところもある。結局どんな仕事をしていても、調整?みたいな仕事は結構重要でこれまでの自分のスキルで対応できる仕事はやっていてもあんまり楽しくないな、と感じている節もある。

 

いつか役に立つ可能性がある、と思って学習できるタイプの人間が世の中にはいるが、私は業務の中で発揮できるスキルがないと、休日に自己研鑽をしようとも思えないタイプだ。例えば、今英語を使う予定がないのであれば、別に今英語の勉強をしようとは思えない。しようと思っていはいても身が入らない。

 

なので、休日はずっとダラダラしている。朝から晩までTVerNetflix、Abema、YouTubeのどれかを見ている。正直、最近は何のために生きているかわからなくなることがよくある笑。でも、これまで色んなことを頑張ってきて、自分がほしいと思う物とか能力とかは色々すでに手に入れていて、もうこれ以上あんまり欲がない。

 

次の目標があんまりない。とりあえず今の会社に少なくとも3年ぐらいはいようと思っているし。でももっと自由になりたいなぁというのはずっとある。できれば週3ぐらいで今の8割ぐらいの給料が稼げる状態になればいいのに、というのはある。でも週に4日も休みがあっても何すんの?と言われたら、困るかも。結局暇な時間が増えるだけ虚無感が増えてしまうのでは。とも思う。

 

いやいや。それだけ暇な時間があれば、もっと色んなチャレンジができるはず。副業とかも本当はやってみたい。ただ、今自分の労働リソースが埋まっていて土日使ってまでやる元気がないだけ。

 

もう一生動き続けられるほど元気ではないし、一生動き続けられるほど情熱的に思える物事がない。これまでに色んなことにハマって飽きてきたから一度飽きたことに激ハマりはできない。年を重ねるというのは色んな未知をなくしていくことであり、悲しい。

 

転職をしてしまったことで、ある種未知の楽しみをまた一つ消費してしまった。あとは本当に副業、起業、子供、ぐらいしか未知性のある要素がない。もちろん、小さい未知の要素はいくらでもある。知らない人、知らない飯、知らない土地、それらは淡々と日々のささやかな楽しみや消費としてやっていけば良い。そういうことを金銭面を気にせず楽しむことはすでにできていて、正直これだけで十分幸せだと思う。一般的に見れば。

 

でも、それだけだと生きている実感がしないというか、なぜそういう思考に囚われてしまうのかわからないけれど、何かこう生きている限り、進んでいたいという謎の感覚がある。有意義に生きなければいけない、みたいな。別に十分進んでいるはずなのだが。

 

今は別に仕事をして、仕事の中で経験を積めば及第点ではあるけれど、プラスアルファで何かしたい、という気持ちはある。そんな大変じゃない程度で、自分もちゃんと興味を持てる何かを。でもそれがなくて、何をしようかな、って思いながらもう半年ぐらい経つという。

苦労話

私の持論として、自分の苦労話や経験マウントをする人間ほど、実は全体で見ればありふれた経験しかなかったり、単純に話し相手よりも少しだけ人生を進むのが早いだけだったりすることが多い。

 

例えば、進学校の生徒がよく言う「受験勉強が一番大変だった」とか、大学院のときに死ぬほど言われた「まだ学生で羨ましい、社会人は大変やで」、とか、「転職すると評価がゼロになるから大変だよ」とか、「結婚したら地獄だからやめといた方がいいよ」とか、年頃の女性の会話にある「子育ては本当に大変だわ。夜泣きが酷くて。」とか。

 

うん、もうその話どっかで聞いたことあるから笑。

 

そんな冷めた目線で見ているので、私はたまに自慢話をすることはあっても、苦労話をすることはない。はず。そもそも本当にあんまり苦労したことがない。むしろ生きるだけでずっと苦労しているつもりなので、特定部分を切り取って苦労話にすることができない。あるいは、他人と比べて自分の方が明らかに苦労してきたと胸を張って言えるような苦労話がない。

 

中学の時に親父が亡くなっていることは相対的に見れば珍しい経験には該当するけど、別に親父がいないから苦労したと思ったこともない。冷静に考えればもっと楽に生きれた可能性はあったかもしれないが、親父がいた人生と比較できないからわからない。母親に死ぬほど苦労をかけたのは間違いないけど。

 

「受験勉強で苦労した」と思ったこともない。僕は「腰を据えて取り組めることができてよかった」と思っている。逆に高校生で受験勉強をせずにそのまま給料の安い仕事に付くしかないことに気づきながら毎日を過ごす方が一苦労だったかもしれない、とさえ思う。

 

逆に大学院生活は確かに楽だけど、人から思われているほど楽ではないとも思う。研究室によっても全然違う。先に社会人になっただけで見下してくる人はいたけれど、そういう社会人のほとんどは大学院なんて行った経験がないのに、なぜ社会人の方が大変、と当たり前のように言えたのだろうか。

 

「苦労は買ってでもしろ」みたいなことわざがあるけど苦労なんてしない方がいいに決まっている。どちらかというと一般的に苦労と呼ばれる経験の中で「いかに苦労をしないか」を考えたり学ぶことに真の価値があるんでは。

 

例えば、ずっと残業時間が長い職場環境で働き続けるのは確かに苦労だ。でもただただ長時間残業に耐え続けた経験ははっきり言って別に優れた経験でもなければ人生を豊かにする経験でもない。何の役にも立たない「おれは長時間残業に耐えられる人間だ」という自身が手に入るぐらいだ。

 

それよりは長時間残業という苦労から抜け出すためにどうすればいいのかを必死で考えて試行錯誤をする。自分のスキルを向上させるための自己啓発をする、そもそも不要な作業がないかのタスクの見直し、無駄な会議や無駄な報告が含まれていないかチェックし、そういった改善案を上司に提示する、それでもだめなら異動や転職をする、など。

 

常に苦労をしないように考え続けていると、結果的に苦労の度合いは減ってくることが多い。(もちろん、自分の努力だけでは避けられないケースもある。)だからそういう生き方をしている人はあまり苦労話を多く語らないイメージがある。苦労の中で苦労しない方法を学んでいるからだと思う。

 

これに対して苦労話をしょっちゅうする人間が、現状の苦労から抜け出すための試行錯誤を何もしていない。ただひたすら我慢することが美徳だと思っている。でもずっと苦労はしているから精神的に辛く、誰かに共感してほしいあまり苦労話をしてしまう。よりによって、そういう苦労をまだ経験していない人に対して。

 

でもな、もうその話どっかで聞いたことあるから笑。

自由になりたい

年明けから業務にアサインされて、まぁ初めの大変さはありつつもそれなりに順調にスタートは切れているかな、という感じ。落ち着く間もなく、2案件掛け持ち状態にされてしまった。

 

本音を言えばもっとゆるく始めたかったが、どうも年明け頃から色んな外資系IT企業で従業員の大規模リストラのニュースが報道されており、私の会社もご多分に漏れず、10%ぐらい削減されるため、そうなると逆に案件に入っていない=稼いでいない人=クビ候補になるリスクが上がるので、まぁ前向きに捉えてる。

 

普通に業務を自分が回すようになって早くも2〜3ヶ月程度経つが、前職と違うのは、基本的には一人で資料作成とかお客さんと対峙していかないといけない点。一応上司もいるにはいるけれど、ガッツリ資料レビューとかしてくれるわけではないので、個の能力がないと結構つらいだろうなぁと思う。

 

私も直近1年ぐらいはITディレクターというコンサルチックな立場で仕事をした経験があったから何とか対応できているものの、毎週毎週仕事のネタを探してパワポを仕上げる、というのはSIで開発しかやってこなかった人にとってはしんどいだろうなと思う。実際私と同じように転職してきた人の中でも全然できない人がいる、と上司がぼやいていた。ってか私も普通にしんどい。

 

単金も前職とぜんぜん違う。私は前職ではリーダーポジションの単金だったが、それでも1.x倍どころの差ではない。だからこそ顧客からの期待値も高くプレッシャーもある、らしい。あんまり考えないようにしているけれど。

 

仕事自体に面白い要素はある。前職では、ここで頑張って覚えたことがどこに活かせるのだろうか?と日々の業務にいろんな疑問を持ちながら仕事をしていたけれど、今は特定の製品なので、学習したことが今後活きるだろうな、という見通しがある点は良い。まぁ間接的に役に立つか直接的に役に立つかという違いでしかないかもしれないが。

 

面白い要素はあるけれど、すごく楽しいわけではない。所詮仕事なんてのはほとんどの人にとってつまらないものだとは理解しているし、私にとっても同じだ。転職したのに楽しくならなかったのか、と思われるかもしれない。でも、良い仕事を選ぶというのは、いかにマイナスを小さくするか、だと思う。

 

もともとの仕事が-100の辛さだったとしたら、今の仕事は-50。そんな風に色々自分のスキルを身に着けたり、自分に向いている仕事を試行錯誤して、辛さが0に限りなく近い仕事で稼げるようになるのが現実的な理想だと思う。そういう意味では転職してよかったと言える。もちろん、今はまだどんな仕事にも対応できるほどの能力はないからどちらかという結構大変ではある。

 

にしても、このおれがなぜコンサルになんてなってしまったのかとふと思う瞬間もある。そもそも客先になんて出たくなかったし、プレゼンも大嫌いだったし、ひたすらプログラミングだけをして、自由に生きていたかったというのが社会に出る前の私だった。

 

今になってもお客さんにとやかく言われたりする状態からどうやったら抜け出せるかを想像して、BtoC企業とかに行きたいと思ったりするけれど、そういう会社は給料が安いという現実がある。

 

そもそもBtoC企業でも上司はいるわけで、必ず誰かにとやかく言われるという。前職にいた時もいわゆる研究開発組織にはお客さんはいないわけだけど、上司があれやこれや要望を出してくる、というのはあるあるだ。エンジニアだってイメージほどの自由はなく、何にもできないのにただ商流が上なだけの会社の人間に偉そうにされる。

 

こうなるといよいよ社長になるしかないのか、とも思う。でも銀行や株主には頭が上がらないとかもありそう。結局みんな誰かに偉そうにする代わりに誰かに頭を下げて働いているのか。

 

と考えていくと、医者とかは案外良かったのかも。学生の時は全く興味もなかったし、人の命を扱う仕事なんて絶対嫌だが、よく考えれば人の命を扱わない医者もある。開業すれば自由だし、比較的開業しやすそうなイメージはある、知らんけど。お客さんもいっぱいいるからヘコヘコする必要ないし、そもそも偉そうな医者はごまんといる。

 

まぁ医学部を卒業するほどのお金は我が家にはなかったので、そういう意味では目指すとしても無理ゲーではあったけど、多額の奨学金を借りる価値はあったかもしれない。とか言いつつ、献身的でない私にはどう考えても向いていないとも思う。

 

とりあえず、もっと自由になりたい。

総括

どーもです。少し早いですが、先週末で仕事を納めてきました。1年間お疲れさまです。今年はまぁ比較的平穏な私の人生の中では、色々あった方ですかね。一文字漢字はもちろん「転」。

 

 

 

まず年明けて早々に出世したんでした。入社した時って「課長代理」って何やねん、どういう意味やねんとか思ってましたけど、そんな謎のポストに付くことなって、ずいぶん自分も長いこと会社におるんやなぁと思いましたね。

 

 

 

そして、ようやく時が来たな、とも思いましたね。少し前に転職活動をした時に、自分が行きたい会社・ポストとその会社が求める人材や経験にギャップがあることが何となくはわかっており、出世したらまた転職活動しよう、と決めていたので。

 

 

 

とは言え、会社の中でいい方向に物事が動く可能性もあります。。結局、転職って良いことばかりではないですからね。デメリットだけで考えば、社内でやることを変えられる方がこれまで手に入れた色んなもの(実績、評判、社内知識)を引き継げるので良いんちゃうかと思ってます。ただそれって「楽」なだけでつまんないなぁと思っていたので私自身は転職の方に気が向いていました。でも、まぁ私にも迷いはありました。

 

 

 

まず一つ目は、転職活動、それ自体が非常に面倒でエネルギーが必要だということ。

 

 

 

たまに、就職活動楽しいとかほざいてるタイプの人が学生の時にいましたけど、私はその対局にいるような人間なので、転職活動自体が嫌いなんですね。大したことない自分の能力や経験を誇張して文書化したり、会社のことを調べたり、面接対策をしたり。さらにそれらを色んな会社に対して準備をする、なんてしんどすぎません?しかも通常運転で働きながら。

 

 

二つ目は、新しい役職や異動によって面白い仕事ができる可能性もあるということ。

 

 

 

なんやかんやちゃんと出世させてくれたこと自体もありがたかったですし、データ分析という仕事は結構楽しめるポテンシャルがあるとも思っていたんですよね。特に出世した直後は異動になるケースが多いので、場合によっては転職するよりもいい条件で働ける可能性もあるな、と。

 

 

 

特に一つ目の理由のせいで、転職する、と思っていたものの、ダルすぎる。。。と尻込みしていました。ましてや以前、準備不足で一次面接で落とされたことがあるせいで、「もっと準備に時間をかけないといけない」「時間をかけても落とされる可能性がある」という二つのリスクがずっと脳裏には焼き付いているので、なかなか行動に移す気になれなかったですね。

 

 

 

幸か不幸か、ちょうど3月ぐらいにコロナに感染してしまい、否応なく10日間働くことができない時期があり、前半は39度ぐらいの熱で完全にダウンしてたんですけど、後半はむしろ暇で、「とりあえず職務経歴書ぐらいは最新化しよう」と行動したのがすべての始まりでした。

 

 

 

これを機に、以前少し相談していたエージェントが私の転職意欲の変化をキャッチし、また求人紹介をしてくれるような感じにはなりました。でも、ほとんどの求人を見ていると、必ずこんな考えが頭をよぎるんですよね。

 

 

 

「これ、結局転職しても今とあんまり変わらないんじゃね?」

 

 

 

特にデータ分析領域の求人を見ていると、そう思えてならなかったですね。なぜなら、私の社内公募向けに自分の業務が魅力的に見えるような文章を書いたりしており、字面に書かれた抽象的でかっこよさそうな仕事内容と現場の業務のギャップはある程度想像できたからです。

 

 

 

そんなこんなで、転職はしたいが、やっぱり行きたいと思う会社がない、という迷子状態に陥っていた頃、ちょうど当時の課長から異動の打診があったんですね。考えてみれば、これまでも「転職しよう!」と思っていた時にちょうどやることが変わって、「とりあえずやってみるか!」としばらく続けて「やっぱ転職だ!」みたいなことが続いていので、今回もそのパターンになりそうだなー笑と直感的に思いました。

 

 

 

が、今回の異動は驚くほど名ばかりの異動だったんですね。要するに、所属組織は変わるがお客さんも業務内容も役割も何も変わらない。つまり所属組織ごと別の事業部に異動する、というだけで、まあ言ってみれば組織名が変わっただけなのに、「異動」という名目にされただけだったんですね。

 

 

 

もし会社に残るつもりだったら、私は結構腹を立てて反論してたと思います。本来、会社の暗黙のルールとしてが、出世直後は別の業務経験を積ませるために異動を推奨しているにも関わらず、全く同じ業界、業務にアサインさせる、というのはそもそも本末転倒なので。形式上異動にしたのは、(どんな事情があるにせよ)ただの帳尻合わせで私のキャリアを考えてなかったということ。

 

 

 

私の覚悟が決まった瞬間でしたね。結局会社は、会社の都合が最優先で個人のキャリアは二の次でしかしないんだなぁと。当たり前なんですけど。いつも何かと理由をつけられて、少し先に希望という餌をぶら下げられて説得されるけど、その希望にありつけた日はなかったし、これからもないだろうな、ということを悟った瞬間。新卒入社が当たり前だとこれが社会の普通、みたいに麻痺してるんだろうなぁ、と今なら思います。

 

 

 

ってわけで覚悟を決めたからかわからないけれど、以前希望職種の求人がなくて面接を見送っていたけど本当は結構行きたかった会社からちょうどダイレクトスカウトが来ていて。話を聞いてなんやかんやちゃんと対策をしつつも、まぁ適当にやればいいかという適度な緩さで挑んだ面接がなんと合格、それが今の会社になったというわけです。

 

 

 

年明けからは本格的に案件にアサインされるので、クビにならんように頑張らねば。。。

転職その後

どーもです。早いもので、新しい会社に入ってもうすぐ2ヶ月ぐらいが過ぎようとしています。1ヶ月もあった転職前の大型連休も、今となっては遠い過去の記憶のようです。

 

社会人になってから1ヶ月も休めることはないので、本当におすすめですね。相当リフレッシュできますし、思っている以上に長いです。終わってみるとあっという間に感じましたが。

 

入社数日前に新品のMacBookProとかキーボードとかマウスなどの周辺機器類が一式送られてきた時はテンションが上がりました。前の会社で最初に支給されたPCとか、そももそも新品ですらなかったなぁと思い。

 

PCがWindowsからMacに変わったのもそうですが、これまで使っていたツール類もガラっと変わりました。前の会社はいわゆるOffice系(エクセル、パワポ、アウトルック)とTeamsを使っていましたが、基本Google系(スプレッドシートGoogleスライド、Gmail)に加え、Slackを使っており、いい意味でIT企業っぽいなと。まぁこれまで大量に覚えたショートカットが使えなかったりするのが玉に瑕ではあるけれど。

 

基本的にクラウドベースのツールを使っているからか、「ファイルサーバ」という概念が存在しないのも特徴ですかね。前の会社とか部署ごとにサーバ立ててたり、バッチ反映だから権限付与に1日リードタイムがかかったりとか、そういうことにめちゃくちゃリソース取られてたんだろうなぁと思うと悲しくなりますわ。

 

新しい会社はいわゆる「外資系」ではあるんですが、割と日本企業っぽい丁寧な研修とかがちゃんとあって、事前に思っていたほどドライではないというか、「できないやつは知らん」みたいな空気感ではなさそうでしたね。

 

テレワーク主体のご時世対策なのか、PCセットアップのための説明会なんてものもあり、個人的にはやや過剰に感じるほど。まぁ業務が始まってからどうなるかは知りませんけど。前の会社も最初の集合研修以外はほぼ教育という概念がなかったですし。

 

とは言え、「現場に入ってその中で頑張れ」的なスタンスではなく、「ちゃんと必要な知識やスキルを身に着けてから現場へ」という考え方が強いらしく、私も最初の3ヶ月勉強期間ということで業務にはまだ入れていません。

 

少し具体的に言うと、最初の2ヶ月間で指定の製品資格を6つ取得する必要があったり、その後もロールプレイ的に模擬提案を行うことでソリューショニングスキルを身につけないとダメという話らしいです。

 

2ヶ月以内に資格取るのが結構大変という話は面接官や人事の方に聞いてたので覚悟はしてましたが、1.5ヶ月で無事取り終わりました。今のマネージャーが知る限りは一番早いらしいので、まだまだ私の脳みそも衰えていないと思いたいでですね。

 

とは言え、久々にガッツリ勉強はゆうても疲れたのと、その後の模擬提案とかも結構難しそうなので、今週は少し長めの連休をもらって来週からまた頑張ろうと思います。

みんなすごい、でええやん

突然だが、野球の上手い人をすごいと思うだろうか。イチロー、最近だと大谷翔平、佐々木郎希とか。一般的にはすごいと言われている方がいる。普段野球を全く見ない私でももちろん、すごいと思っているけど、正直いくらでも捻くれた見方をすることはできると思っていて。

 

例えば、スポーツなんて所詮遊び、と言われてしまえば遊びである。別に野球がいかに上手かろうがそれは世の中の役に立っているか?社会を推し進めているか?と問われればそんなことはない。

 

それに対する反論も様々あるだろう。スポーツを通して夢や希望、明日への活力を沢山の人に与えているだから、世の中の役に立っているはずだと。プロ野球ファンの人たちのためになっているから役に立っていると。

 

ただ、それを言ってしまうと、プロ以外は無価値、ということになってしまう。少し野球が上手いだけではだめなのだろうか。どうせ何も役に立たないからすごくないのだろうか。

 

あるいはスポーツ以外のジャンルはどうだろう。例えば絵の上手い人、歌の上手い人も同様に凄いと感じるだろうか。これもやはりプロであれば凄いが、プロでなければ無価値なのだろうか。

 

勉強ができる人、賢い人というのもある。残念ながら勉強にプロというポジションはないが、勉強や学歴は他のスキルとは違って役に立つものではある。それでも、勉強だけできても仕方がない、というのは多くの人が言う反論であるし、勉強ができてもそれを自分の仕事に役立てれないタイプがいるのも事実ではある。だから無価値、なのだろうか。

 

例えば、バンクシーという画家の作品はとんでもない金額で落札されるから、凄い画家だと思っている人もいるかもしれない。プロとアマの境目は業種によっても様々あるが、最終的にはたくさん稼いでいる人が凄い、という見方が一般的な凄さの尺度であるような気がする。

 

稼いでいないけど一般的に凄いと認識される人、というのは確かにあまりいないような気もする。ではたくさん稼いでいれば凄い人なのだろうか。

 

真っ先に思い浮かぶ高収入な職業といえばお医者さんである。お医者さんは凄い人なのだろうか。確かに凄い人という見方の方が一般的かもしれない。たくさん勉強する必要があるし、頭の良さもいる。

 

ただ、穿った見方をすれば、実家が金持ちだっただけでは?とも見れる。逆に言えば、お金をかけてすごくなってもそれって本当にその人の凄さなのか?という反論だ。

 

スポーツの話に戻るが、プロゴルファーの中にはそもそも一般の家庭ではかけられないようなゴルフ教育を受けて育った人も多いという噂も聞くので、同じような反論があるかもしれない。

 

あるいは生まれながらの資産家であれば、保有しているだけでもかなりの収益を叩き出すことができるが、これは凄い人と言えるのか?と問わればツイてただけやん、とつっこまれてしまうかもしれない。

 

ということは、子供の頃に対した費用はかけてもらえなかったにも関わらず、莫大な収益を叩き出している人、すなわち費用対収益力の高い人が凄い人の定義にかなり近い気もする。

 

では、YouTuberはどうだろうか。大人から見るとしょーもない動画で再生回数を稼いでたくさん稼いでいるYouTuberは一定数存在すると思うがそれらは凄いのだろうか。

 

大手の外資系銀行で、年収1億円稼いでいれば凄いのだろうか。でも大企業に入る事自体を揶揄する人もいる。鶏口となるも牛後となるなかれ。小さい会社でも自分がトップであることが凄いという見方。となると、ただ稼いでいるだけではダメなのか。

 

もっというと、仕事しかしていない人自体を揶揄する見方もある。女性に多いが、家庭を持って子供を育ててこそ一人前みたいな発言、考え方はこの歳になるとよく耳に入る。先程の例にも近いが、いくら稼げても、子供もいないようじゃダメ、とか。

 

まぁ要するに、全員が満場一致で凄いと思える人物像なんて存在しないということ。

 

大人になると、他人を凄いと言えない人の多さに驚かされる。自分と違う行動をする人に対して凄いと言ってしまうと、負けた気になってしまうのかわからないけれど、上に挙げたような様々な見方を使い分けて、別に人間としてあなたはそんなにすごくないですよ、的感じを出す。

 

最悪の場合は、あなたに凄い点があったとしても、私はこんなことをしている(だから私の方が偉い)というマウントに発展する。専業主婦の方が大変だから凄い、とか労働と子育てを両立するほうが大変だから凄い、とか。

 

たいていそういうマウントに引っ張ってくる凄さの要因って全然大したことがないことが多い。「◯◯も知らないの?」「海外行ったこと無いの?」「アルバイトしたことないの?」とか。9割以上の人が持っている知識・経験でマウントするのが一番ダサい。

 

あほらしい。みんなすごい、でええやん、と思う。

退職

昨日、無事現職の最終勤務日を迎えました。

 

私が退職することを上司に告げてから2週間ぐらいは後任のリーダーがいない、外部から引っ張ってこれない、なら事業として撤退するか、いや撤退するにしてもそんなすぐは無理でしょ、みたいにダラダラと偉い人が話しあっても体制が決まらない状況が続いており、この会社大丈夫なのか?と思いましたけど、まぁ何とかなりました。

 

まぁ別に一人の人間が抜けたぐらいで組織が壊れるはずもないとは思っていましたが、あまりに上の人達の案が出なかったり決断が遅いので、少しヒヤヒヤはしました。最終的には私が悪い、みたいに言われたくなかったので体制案を提言してしまい、チキンレースに負けた感じなのが少し癪ですが、まぁ円満退社できたので良しとしましょう。

 

気づけばもう丸8年間も働いており、これまでの人生で最も所属期間の長い場所になっていたことを改めて痛感します。最後の挨拶メールを送る人を考えている時に走馬灯のように色んなプロジェクトの記憶が蘇ってきました。

 

今になって振り返ってみると、膨大な雑務や育成系イベントの多かった1年目やリリース直前の炎上プロジェクトを除けば、何かしら仕事の中に楽しい要素はあったかなぁと感じられます。不思議なもんで記憶が美化されるってやつです。

 

ただ実際には、人間関係が良くて働きやすい環境だと業務内容がつまらない、仕事がクリエイティブだと評価されないし進みも悪い、新しい技術を使った開発だと管理面でしか携われない。と、あちらが立てばこちらが立たずの状況だったんで、渦中にいた私はずっと不満だったんですね。過去のブログを読み返してみてもそう思います。

 

そんな中でもより良い環境を探して彷徨い続けて数年、所詮100%満足のいく仕事なんてものはないことを今は悟りました。でもそれと同時に、自分で決断、行動した方がやっぱり面白い方向には行けるな、ということも感覚的にわかったし。

 

決断をすると、必ず選ばなかった選択肢が残るし、本当はその道もよかったんじゃないか?という思考が頭をよぎる瞬間は確かにあるんですけど、やっぱり過去のターニングポイント(大学院進学?パートナー選択?就職先?とか)を思い返しても総合的にはこっちで良かったと思えてるのは、決断そのものが思考に影響を与えるからなんでしょうね。

 

そういう意味で「ずっと今の会社にいる人生」もあったのかもしれないし、その方がもっと将来的な生活も踏まえると安定して働けてその方が幸せという可能性はあるけれど、まぁ少なくとも今は全く後悔はしていないし、今後もたぶん後悔はしないんじゃないかなぁと思う。そもそも発生しなかった未来とは比較できないし。

 

何より全てから解放される1ヶ月間の休暇を手に入れられたことだけでも素晴らしい価値がある、と今は思う。

次の場所へ

えーと。転職することになりました。



これまで散々周囲の人にウダウダ言いながら、結局会社を辞めるところまでは至ってなかったし、なんとなく、なんやかんやこのまま定年まで行くんだろうなぁと自分でも思っていましたが、ようやく。ずっと転職したいと言っていたのは、もちろん嘘ではなかったんですが、あまり妥協せすに良い転職を実現することのハードルが中々高くて(今も十分良い会社なので)、まぁ自分の経験とかスキル的に難しかったということなんですね。



やりたいことを重視すれば、年収は結構下げざるを得ない、年収を維持しようとするとたぶん今の同じような会社に行くことになってあんまり転職する意味がない、年収を上げようとすると激務が下げられない、とか、必ず何かを妥協しないと選択肢が非常に狭くなってしまう、というのが直近1年くらい求人を見ていてずっと感じていたところではありました。



が、まぁ今回はそんな数少ない候補の中で、とても良い条件で内定を貰えたので、転職を決めた、というわけです。結構難易度の高いポジションだったのでここ最近では一番嬉しかったですし、こうして結果が伴ってくると必要以上に自分を過小評価していた、というのはあるかもしれないです。とりあえず非常に骨の折れる活動ではあったんですが、行動してよかったです。



そもそもなんで転職したのか。この点については活動中もこれから今の会社に退職を伝える時にも聞かれる点で、建前上は専門性を身につけたいとか、そんな理由をつらつら語っていました。これはもちろん一つの真実ではあるんですが、本音ベースで考えてみると、やっぱり「飽きてしまった」ということだと思うんですよね。そしてこの先立場が変わった時に面白い仕事はできないだろうなぁと肌感を持って気づいてしまった、というところですかね。今年出世したとこだったんですけど。



これまでも散々仕事に飽きて、色んなことやらせてもらったんですが、一つ一つの業務に関して深いとこまで行く必要がなくて、だから伸びしろもすぐに鈍化するし、飽きるスピードも早い。で、そんなに大したこともできないまま一丁前に出世だけはして、口だけ偉そうなことを言って手の動かない管理職になる人生を送ることに誇りを持てないと思う自分がいた。本来は楽をしたい人間なんですけど、そういうところに変なプライドがあったというか、まだ残っていたというか。楽はしたいけど、できない自分、やれない自分はいやだなぁと。



正直転職先は結構ハードだと予想していて、今はまだ嬉しい気持ちの方が大きいんですけど、この後入社が近づくにつれて不安も大きくなる気がしてます。でも、まぁだからといって今の会社に残るのはもったいないというか、まぁせっかくの一度きりの人生なので、別の会社でも働いてみたい気持ちの方が大きいので、迷ったりはしてません。もし潰れたら辞めてどうするかはその時に考えるしかないかなと。



まぁ何にせよ久々にワクワクしてます。未来が変わるとか未来がどうなるか予測できない状態、というのはやっぱり楽しいですね。きっと今がピークで新しい会社に入って、しんどい思いをして、仕事に慣れた頃にまた飽きて、次はどうしようかなぁとか考える自分が容易に想像できるんですが、もはや終身雇用前提の企業でもないので、変化できることを前向きに考えて生きようと思っています。

「仕事ができる」とは?

社会、特に男性社会では結局仕事ができるかできないかの二元論で語られることが多い。にも関わらず、この「仕事ができる」というのがまた何を基準に語っているのかが曖昧だったりする。

例えば、コーディングスキルの高いエンジニアがいるとする。技術的な専門性も持っている。なら、この人は仕事できるよね、と評価されるかといえばそうとも限らない。

実際、「あの人、技術よく知ってるけど仕事はできない」と言われるケースはそこそこある。つまり、専門性と仕事の能力は別物だからだ。もっと極端な例だと「あの人、めちゃめちゃ優秀なのに仕事はできない」ということさえある。

そういった一見矛盾したような発言が飛び交うのはなぜか。それは仕事のできる/できないが、その人に与えられた役割を期待以上にこなしているか?で決まるからである。

わかりやすく言えぱ、その人と一緒に働くことによって、自分が楽、仕事のクオリティがあがるなどのメリットがある人を、人は仕事ができると感じる。

だから、先程の例で言えばコーディングスキルが高くても、マネジメントなども求められるポジションであれば、当然そのレイヤーの仕事ができないと使えない人の烙印を押されることになる。

反対に、事務処理系の仕事を卒なく早くこなせる派遣社員は仕事ができると見なされる。ここで、仕事自体の難易度はあまり考慮されないのもミソである。

ただ、仕事ができる人に共通するのは、問題解決能力だと私は思っている。どんな仕事であれ想定外のことが起こった時にどのように対処するのか。

これを「どうしていいかわからないので教えて下さい(私には何もできません。)」と簡単に匙を投げるだけの人は正直仕事できない人が多い。

別に一人で全て解決できることが重要ではなく(そんなことは稀)、解決に向けて主体的に動けるかがポイントである。巻き込み力?とか言われるものに近い。

また、仕事できる/できないはあくまで個人の主観でしかないので、常に他の人の感覚とズレていないかにはアンテナを張っておいたほうが良い。自分の感覚の方がおかしい場合があるからだ。

前述の通り、仕事ができるというのは与えられた役割に対しての実績で決まるわけだが、日本はこの辺の与える役割も明確でなかったり、管理職が介入していなかったりするせいで、本来与えるべきではない役割を押し付けていたりするケースもある。

例えば、管理者のAさんが他メンバ管理を勝手に一メンバであるBさんに押し付けたつもりだったが、Bさんがその役割を真っ当してくれないと、AさんはBさんのことを「仕事ができない奴」と感じるが、そもそも仕事ができないのは自分がすべきことを他人に押し付けているAさんですよ、という話。

とは言え、この「本来与えるべき役割かどうか」というのも明確な正解がなく、結局他組織との比較で決まるので、普通(他社にとって、他組織にとって、自組織にとっての普通)何なのかは常に考えるようにしておこう。

実際私の会社もそうだし、日本の会社は上記のように管理者が管理を部下に委任しているケースは結構あるように思う。

まぁ要するに言いたかったことは、たとえ今仕事ができようができまいが、別の会社や別の役割なら全然違う評価になるということと、問題解決する癖をつけることが大事ということ、に尽きる。

作業者疲れ

最近、作業者であることに疲れてきたな、と感じる。

 

入社したばかりの頃は出世したいなんてことを考えたことはなかった。設計やプログラミングなど、より具体的な仕事をすることに興味があったし、出世し終わった人たちはそういう現場の前線から外れる。

 

ぶっちゃけ人をどうやって調達するかがメインで、他には何をしているのかよくわからんし、企業利益にはほとんど貢献していないんじゃないかと思っている。今だって、私が顧客要望聞いて提案して案件受注してその業務を遂行する点において大したサポートがあるわけでもないので、「いざとなった時に謝る立場の人」ぐらいの役割でしかない。当然そんな姿に憧れることもない。

 

けれど、現場でずっと働いてきて、現場の仕事というものがだんだんわかってくると、なんというか現場の仕事をしていることにも飽きてくる。私の場合は特に飽きのスパンが早くて、半年ぐらいで自分の成長速度の鈍化を感じると仕事のモチベーションが下がる。

 

そうなると、逆に同じ作業を繰り返していることもしんどくなってきて、これならいっそ管理側に回った方が新しい発見があるのかもと思うことがしばしばある。私はずっと専門家になりたいと願ってきたけれど、他でもない私自身の性格が専門家になるためのステップにどうやら耐えられないらしいということに気づいてしまった。

 

これまで色んな職種を体験してきて、面白い側面、大変な側面あったけれど、どれも一生やり続けていきたいと思うものではなかったなぁと。今の会社でできる仕事には限られてるせいも大きいだろうけど。

 

プログラミングが好きで仕事でもやりたいと思っていたし、ガチのエンジニアになるか?と考えたことも一時はあったけど、なんとなく趣味でアプリを何回か作ったら満足してしまった感はある。

 

最初の作り方を考えたり、新しい言語の使い方を覚えて試行錯誤でトラブルシュートしている段階が楽しいだけ、ということに気づいた。また、会社の中の活動で技術力を高める半年間ぐらいの研修に参加したけれど、自分が本当に作りたいと思っていないものを作ることに対して実はそんなにモチベーションを感じないことや、細かい技術そのものには全く関心がないことにも気づいた。

 

これまでバリバリのエンジニアがやりたいみたいなことを周囲に言っていると、だいたいの友達や上司から「ほんとにそうなの?」と言われることが多くて個人的には解せなかったのだけど、他己評価というのは意外と正しいらしい。やはり体験してみることが一番学びがある。

 

具現化と課題解決。突き詰めると自分が必死になったりのめり込める領域はこの二つだったなぁと。どの職種だったとしてもそれはあんまり変わらなくて。だから、自分の本質はこの二つなのだろうなぁと最近は漠然と思っている。

 

ただ、そのための調査とか資料作成とか、そういうことをするのにも疲れたというか、そもそもこれって一社員がやる仕事なのか?とかを考えると、割に合わないなと感じることが多くて、それで疲れた。

大企業に具体的なビジネス課題とかないのでは

しばらくぶりの投稿になる。久しく書いていないと、いざ書き出す時に何を書けばよいかがわからなくなる。とりあえず、ここ半年ぐらいは、なんちゃってデータサイエンティスト(データアナリスト?)な仕事をしており、まぁそんな中で思ったこととかを書き留めておこう、というのがタイプするモチベーション。

 

データサイエンティストを知らない人のために補足をしておくと、「さまざまな意思決定の局面において、データにもとづいて合理的な判断を行えるように意思決定者をサポートする職務またはそれを行う人のこと」だそうだ。

 

ただ、高度な統計理論や分析手法を用いたり、Python使ってAIの予測モデルを構築したりする人をイメージされることも多い。事実、通常使われる言葉の意味もそのイメージに近いと思う。なので、本来定義的には、「データを使って意思決定をサポートすること」ではあるが、おそらくそういう人はデータアナリストと言った方が伝わりやすい気もする。

 

その文脈で言うと、私はまさに意思決定をサポートする仕事、というのが望ましい。クライアント企業で実際に打つマーケティング施策として何をすべきか?どうやるのが正しいのか?を提言する。そのために必要な材料としてのデータ分析や予測モデルの構築をしているが、別にデータ分析をすることは手段でしかなく、高度なPythonを使うことはほとんどない。(SQLはよく使うが。)

 

だから、社外では自分のことをデータサイエンティストとは名乗らず、データアナリストかあるいはアナリティクスコンサルタントとでも名乗ろうかと考えている今日この頃である。

 

で、この「データ分析」という領域は今もなお色んな企業で叫ばれているバズワードであり、ホットな領域と言われている。市場としてもおそらく成長しているだろう。色んな各クラウドベンダをはじめとしたデータ分析基盤技術や、CDPやBIツールなども枚挙にいとまがないほど登場している。

 

というのも、近年IT業界で叫ばれる「DX」の実現、データドリブンな経営が重要、という主旨の発言が、あらゆる戦略系コンサルのレポートやIT関連の書籍で語られており、データ分析とは切っても切れない関係にある。

 

このようにある特定の領域が盛り上がってきた時に必ず生まれるサービス派閥がある。①製品を作って売る会社、②利用技術を極める会社、③実ビジネスへの活用を支援する会社、④人材を育成する会社、大きく分ければだいたいこの四つぐらいである。もちろんきれいに分かれることは滅多になく、全部やっている会社もあるがそれぞれどこに重きを置いているかは違うことが多い。

 

例えば①は製品の中での争いは熾烈ではあるが、SaaS利用が一般化している今はビジネスがストック化しやすくキャッシュフローが安定する。本当はどこの企業もこういった形のビジネスを作りたいと考えているはず。データ分析の場合だと、TableauとかDataRobotとかが該当する。もちろん、ビジネスへの活用なども考えてはいるものの、究極を言えば使い方はあなたたち次第、というのがスタンス。

 

逆に②は手段に特化している。いわゆるデータエンジニアやPythonSQLで高度な分析ができるデータサイエンティストを集めている会社とか。流行ると確実に人手は足りないので、需要はある。でも、人月ビジネスなのと、ビジネスの商流から遠いと言う理由だけで日本では安く買い叩かれる傾向にある。もちろん、他の流行ってない領域に比べれば高いけど。

 

③のスタンスは「結局全てのツールや技術は手段でしかなく、ビジネス成果につなげることこそもっとも価値がある」というもの。私の会社も基本的にはこの思想。言ってみれば〇〇コンサル。確かに事業に近いポジションのため、単価は高くなる一方、③の場合はかなり主体となる事業会社に影響を受けやすいため、汎化や横展開はしづらい点がある。業界共通の課題へのソリューションをまとめていく必要がある。

 

④は①〜③とは少し異なるが、事業をやっている会社の人にスキルがあった方がいいでしょ、というスタンス。これも極端に言えば、武器は授けるけどあなたたちで頑張ってビジネス成果出してよ、ということ。例えば、最近流行りのプログラミングスクールとかがこれに該当。確かに基礎的なプログラミング能力はつくが、それがビジネス成果を埋めるものなのかは全くもって不明。

 

結局どれが最も良いのかは定かではないのだけれど、日本のIT会社は③を選びがちだと思うのね。①のような製品は滅多に生まれないし、②は買い叩かれる割に技術の流行り廃りに追いつかなかなければならない、専門技術を保持した集団でもなければ人材育成が目的ではないから④も違う。結局何が残っているかというと昔から付き合いのある太客との繋がりだけなので、③でやるしかないというのが本音である。

 

そして③を積み重ねて、業界課題からソリューション開発につなげていこう、という話をよくされる。きっと同じようなことを考えている会社はたくさんあるのだろう。具体的な課題を見つけることが重要視されている。

 

しかし、私が思うに具体的な課題を持っている人というのは、大企業にはいない。抽象的な課題はいくらでも上がる。新しい顧客が増えない、若い人に使ってもらえない、もっと業務を効率化したい、いくらでもあるだろう。

 

でも、本当の課題を突き詰めて考えていくと、最新テクノロジーを導入する以前にやるべきことがいっぱいあるケースがほとんど。クラウドにしようとしても自社データを外部に出すのはセキュリティルール的にアウト、とか。それが本当の課題で、それは実は内部で解決すべき問題だったりする。

 

データ活用をしていきたいというのにデータを取れる仕組みは構築していなかったり。パーソナライズをしたいと言っているのに、自社内のカニバリゼーションは認められないからレコメンドの仕組みを変えることはできない、とか。

 

要するに色んなコンフリクトがあってもなお、「何が本当に課題すべきことなのか?」というのがない、と言う話。解決できたら嬉しいけど、血は流したくないし、汗も書きたくない、ぐらいの課題しかないから。やっているフリができてればいい。茶番。

 

大企業に寄生すれば食える時代も終わったなぁと思う。

これができたら天才?超難解数当て推理ゲーム。

アプリ開発第二弾のお知らせです。その名はNIZIGEN。とりあえず、プロト検証でAndroid版をリリースしました。

 

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数字当てゲームです。数年前に少し流行りましたが、ヌメロンとかヒットアンドブローの二次元版です。論理ゲームが好きな人におすすめです。ヌメロンは3桁や4桁の数字を当てるだけですが、このゲームは9桁のマトリクスを当てるので結構難しいと思います。

 

ちょっと名前がASO的にイケてなくてインストール数が伸びずですが・・・結構デザイン面含めちゃんと作ったので、ぜひ遊んでもらえればと思います!LEVEL Xを倒せればかなりの強者です。

やりたいことがわからない?構造化すれば解像度は上がる!

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

この挨拶もさすがに飽きたなぁ・・・。というか、人生そのものに飽きつつある今日この頃。コロナだとできることが少なくて余計に飽きが進行している気もしますが、たぶんコロナであろうとなかろうと、この飽きていく感覚は年齢とともに深刻化していくのだろうなと思います。

 

断っておくと、人生は楽しいし、快適で丁度いいし、私は毎日幸せです。ただ、幸せに飽きたといってもいいのかもしれないですね。ずっと幸せだと幸せでなくなるジレンマって人間あるじゃないすか。そんな感じです。嫁には「考えすぎじゃね?www」みたいに言われますが、私以外にも同じような感覚の人はいっぱいいるんじゃないかと思ってるんですけどね。

 

ちなみに、人生に飽きる原因がなぜかというと、新しい発見がないから、です。これまで何度となく人生に飽きたと思ったことがあるので、そんなことは知っています。だから私は、常に新しいことを探して、新しいことを学んで、新しいことを試しています。

 

でも、そういったことを続けていくとそのループ自体に飽きる瞬間があります。例えば、日本には四季があるから一年間飽きなくて良い、と思う人がいます。これは1ヶ月単位で見ればその通りです。しかし、年間単位で見れば毎年ほとんど同じです。つまり引きで見ると飽きてしまう瞬間があるのです。

 

新しいことを取り入れ続けても、結局これも同じループなのでは?という疑問符がつくと飽きてしまうことがあります。なので、あんまり引きで考えない方がいいです。マクロに考えすぎるとい死んだら何も残らないし生きても無駄、みたいな極端な思考に繋がりがちです。私はいつもこんな思考と戦っています。笑

 

だから、ここ数年は基本的には小さいやりたいことでもなるべく積み上げて取り組むようにしています。そういう楽しみというかマイルストンみたいなものがないと、生きるモチベーションが無くなってしまうので。

 

ただ、やりたいことを見つける、のは実は結構大変です。特にやりたいとかを考えたことのない人には結構難しいです。一つの理由は、小さなやりたいを押し殺すのが当たり前になっており、やりたいことを自覚しずらいためです。この類の人は、「死ぬまでにやりたい100のリスト」を作ろうとしても到底100個も出せないでしょう。

 

もう一つは、そもそも日常の中で興味関心のきっかけを見つける習慣がないからです。後者についてはあまり一般的には語られていないように思います。例えば、過去の人生を振り返って、その時の行動がキッカケで新しいことを始めたことがどれだけあるか?を考えてみると、自分が普段どれだけ世の中から新しい興味関心を拾える人間なのかがわかるでしょう。

 

やりたいことを見つけるために必要なのはやりたいことの枠組みを持つことです。例えば、「やりたいこと」を一段具体化すると、いくつかの分類に分けることができます。

  • 欲しい物
  • 食べに行きたい店(料理)
  • 行きたい場所(国・土地)
  • 体験したいこと(やってみたいこと)
  • 習いたいこと
  • 達成したいこと
  • 解決したい悩み
  • 作りたいもの
  • 読みたい本・漫画
  • 見たい映画・動画
  • 会いたい人

これはほんの一例に過ぎませんが、やりたいことといっても実に様々なことがあるのがわかりますね。また、単純にやりたいことを考えて100件リストアップするよりも簡単に列挙することができそうな気がしません?

 

もちろん、さらに具体化してから考えても問題ないです。例えば、行きたい場所というのはさらに国内か海外かに分けることができますし、読みたい本というのも、小説なのかビジネス書なのか漫画なのか、といくらでも細かくできます。ただし、先に述べた通り、細かすぎると、差異を少なくなり新しさを感じにくくなるためその点は注意が必要です。

 

そして、本当に大事なのは自分のやりたいことを構造化した枠組みを常に意識して生活をすることです。

  

カラーバス効果というのがあります。今日は赤色に注目しよう!と思って街に繰り出すといつも以上にポストや家の屋根など赤色のものが視界に入るという現象です。これと同じ話で、やりたいことについても探すための枠組みをあらかじめ押さえておけば普段の生活の中でストックしていくことができます。

 

例えば、おいしいお店を沢山知っている人は、常においしいお店を見つけたい!と思って生きているので、誰かに連れて行ってもらったお店やテレビで取り上げられていた有名店を自然とストックしている結果なのです。

 

なので、やりたいことがないと思っている人はまず、やりたいことの枠組みを考えることから始めると良いです。

 

そして、構造化を考える時に最適なツールがこちら↓(宣伝)

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今年も一年よろしくおねがいします。

結局、2020年はどうだったのか?

今年もついに終わる時が来ましたか。恒例の(と言いつつほとんど実は振り返っていなかったが)振り返りをしていこうと思う。

 

結論から言うと、今年は結構良い一年だった。

 

もちろん、不満なこと、上手くいっていないことはまだまだある。社会的に見れば「コロナ」などと言う未知の感染症が蔓延し、今年一年の漢字は「禍」になってもおかしくない。それでも、だからこそ、今年は本当に良い意味での色んな変動もあって個人的には良かった。久しくこの言葉を使っていなかったが、この一年は”面白かった”と言っていいと思う。

 

その理由の多くは仕事だ。そもそものきっかけは昨年度末に異動希望を出したことだが、やっぱりこれが大きい。面倒くさがらずに重い腰を動かして大正解だった。(結局、元々聞かされていた仕事とは全然違うことをやらされることにはなったが、今のところはまだ結果オーライとしておこう・・・)

 

昨年度の炎上プロジェクトは最終的にはかっちり品質固めて年明けの1月の商用リリースもノントラブルで終わった。商用リリースした店舗できっちり2万勝つというのも幸先の良いスタートだった。

 

2月からはチームを離れてレジレスサービスの開発というキラキラした最先端開発を実施する、、、はずだったのだが、なぜか別業界の顧客からRFP(システム提案してくれーという依頼)があったらしく、そこの要件定義&見積の体制に2週間限定で打ち込まれる。しかもなぜかアプリとインフラの両方に名前が組み込まれているという。(※ちょっと大きい私のようなIT企業だと、アプリ系とインフラ系は人が分かれるのが通常なのです。)

 

これが無茶振りではあったが、良い経験だった。システム構成なんとなく考えたり、機能ってこうやって定義していくのね、みたいなこれまで知識として知ってはいたけど実際どうやれば・・・?みたいなことが腹落ちした。ついでに、別チームの人や営業の人と一緒に仕事をする機会は初めてだった中で、私のアウトプット力をかなり認めてもらえたという手応えがあった。残念ながらコストのせいでコンペに負けて受注はできなかったけど。

 

3月からやっと当初予定していた開発に参画することになった。が、イメージと現実は違った。そんなに過度な期待していたわけでもなかったけど。結局試験工程に差し掛かっていたこともあり、試験管理、品質管理、ベンダとの折衝がメインで、「結局これまでの仕事とほとんど一緒やないか」と嘆くハメに。

 

そんな中、年度末に予算が余ってるから使い切らなければ!みたいな大学の研究室みたいな理由から「300万円使って良いからベンチャー担いで1ヶ月でなんか作って」というオーダーが組織長から入る。与えられた情報はそのベンチャー企業の社長の名刺に載っているメールアドレスのみ。これまでと裁量の違いにビビった。

 

英語でメールのやり取りしながらNDA締結したり、Web会議とかもしたのは非常に新鮮だった。この時の技術検証結果がなかなか講評で、他組織からの引き合いもあったりで、この1ヶ月で〇〇ベンチャー担当の人みたいなレッテルを貼られたりもした。これも確実にチーム内プレゼンスにはつながったんでは。

 

この時期にちょうど私のチームはフルリモート対応に舵を切ることになり、TeamsやZoomなどの新しい対応とか遠隔会議で意思疎通を測らなければならなくなった上、プライベートでは挙式もあったため、能力的、時間的、環境的にも色々大変だったが、そういう逆境感も含めて今振り返ると決して悪くなかった。

 

4月からは完全に新体制の企画チームになった。この課長と年下の先輩と私、という3人だけのチームが、「ミッションは決まっているが、やることは何も決まっていない」というチームで最初はカオスだった。ミッションは「新しいビジネスを作ること」ぐらいだから、何もないのと同じという。

 

「そもそもおれ、企画に興味ないんだけど」とか思いながらも、この体制で何をしていくか、どうやっていくか、というのを日々考えた。これもまた結構良い経験。それはこれまでいかに考えずに仕事をしてきたのか、ということを客観視できた点。

 

気づいている人沢山いると思うけど、実は考えなくてもできる仕事って社内には山ほどある。炎上プロジェクトを色々支援してきた私から見ても、得てして人は忙しい時ほど考えずにこなす、というやり方に逃げがちなので皆さんもご注意を。すごく年次は上なのに仕事できない人をよく見ればわかる。だいたいそういう仕事のやり方ばかりしてるから。

 

話逸れたけど、活動目的の言語化、KPIの設定、活動計画策定、チーム内の管理ルール、ドキュメントなど、全てを考えて定めた。「これは一体何の仕事なんだ?笑」という気持ちを押し殺して「これを意義ある活動にするには?」を考え続けた。その結果、チームとして普通に活動が回るようになったし、他組織へ貢献するところまではいけたと思っている。

 

これまで全く興味なかったけど、意外とこういう立ち上げも悪くはないことに気づけたのも良かった点の一つ。こういう大変さを「産みの苦しみ」とよく言ったりするが、個人的にはただ沢山の仕事を日常的に何も考えずに消耗していくよりは全然いいと思った。

 

5月以降数ヶ月間は海外ベンチャー調査をやったり特許調査をやったり、そこから考えられるサービスの使い方とかユースケースを考えたりした。その結果を事業部内にセミナー形式で発表したり、オウンドメディアを使って記事を執筆したりした。

 

アウトプットとして求められることによって、最新のニュースやトレンドを自然と追いかけるようになった。あとは、こういった匿名形式のブログではなく、会社のメディアに実名で記事を投稿できた、というのは一人のブロガーとしてはかなり達成感のあった成果でもある。

 

ただ、こういった活動も数ヶ月続くと新鮮さが薄れ、しんどくなってくる。まず、顧客を抱えているチームではないので、常に自分との戦いが求められる点。極端に言うと、サボろうと思えばいくらでもサボれてしまう。。そして、売り上げに繋がるまでの道のりが遠すぎて、今の活動本当に意味あるのか?という迷いが常に生じる点。加えて、課長が結構パワハラ系。案の定、私と非常にノリの合う年下の先輩は転職してしまった。

 

私自身も企画をやっていく中で色々と腑に落ちた点があった。初めから思ってはいたが、結局テクノロジードリブンでサービスを考えるべきではないし、先進技術を使える使えないは顧客や業務特性が支配的であるということであった。ビジネスを作るのがチームミッションだとすると、やっぱり私もこの組織でこのまま活動を続けてもしょうがないなぁと。そもそも私は技術軸を捨てるつもりはなかったので。

 

そんなこんなで、コーチングを受けたり、軽めの転職活動をしたりもした。今年は昇格のための社内資格取得のために職務経歴表みたいなものを作っていたこともあり、無駄に手間をかけることもなく、ノリで面接を受けることができた。ただまぁそのせいか、技術系質問にほとんど答えられず不採用だったけど。結構行きたい会社なので、もうちょっと勉強してから挑もうかなぁという感じ。逆に他の会社とかベンチャー系とかは、そこの作ってるサービスを好きじゃないとあまり乗り気になれず。

 

と、まぁ仕事やる気ほとんどなかった頃にまた概算見積提示の仕事が来るという。今回は人が少ない(ほぼ一人でやる)代わりに期間が1ヶ月ぐらいと長かったので、比較的楽だった。概算見積の仕事は基本的には面白い。システム構成とか要件定義とか超上流を考えられるから。楽しくないのは、結局論理のない数字の根拠をそれっぽく偉い人たちに説明して承諾してもらわないといけないところ。でもそれら含めて中々この年次でやらせてもらうことって少ないので、非常に良かった。

 

それが11月中頃に終わった矢先、また別の新規サービス構想検討で2週間ぐらい駆り出され、今月に至る。これもファンを楽しませるためのサービスぐらいのコンセプトレベルからサービスアイデア、機能一覧、画面イメージなどを具体化するところまではやった。どうも案件化に繋がるかはまだまだ不透明だけど、上流工程検討の経験値が溜まっていることは実感できた。

 

そして、今月からまたやることが変わったという。それも割とドラスティックに変わる。職種で言うと、データサイエンティスト、業界で言えば放送。業務内容も普通にコード書いたりするとこからパワポ作ったりとかなりマルチにやる感じで、結構私の嗜好とも近く、いい感じである。

 

ということで、転職はしたいが、今の仕事のモチベーションは高いまま(まぁいつまでもつか問題はあるにせよ)今年の終わりを迎えられそうなことと、改めて振り返っても本当に色んなことやった一年だったなぁということで、やっぱり良かったと言っていいでしょう。

 

結局、色んな仕事をやると色んな人と仕事をすることになって、色んな人と仕事をすると、自分を客観視することができるわけで。相対化というか。つまり、自分ってこれができるんだな、逆にこういう課題があるな、とか。それが会社の中でどのぐらいのレベルなのか、みたいなこともわかる。めちゃくちゃ凄い人と一緒に仕事をできる確率も上がる。(ほとんどいないけど)

 

これからしばらく(転職しない限り)はたぶん腰を据えて今の仕事をやることになるだろうけど、珍しく頑張って行けそうな気がしている。そんな気持ちのままあと10日ほど働ければと思う。