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そして今日も考える。

「なんとなく無気力」の真実

大阪府の高校生の不登校がワーストらしい。悲しいニュースです。不登校になるぐらいだから、イジメなどの被害やよっぽど辛い思いをしている学生が多いのかと思いきや、その理由は「なんとなく無気力」がダントツの一位とのこと。

 

この意見に対し、なんとなく無気力だから学校に行かない、なんてゆとり教育が生み出した甘えだ、と一蹴することは可能です。正常な感覚では、なんとなく無気力ぐらいで学校へ行かないなんてどうかしていると思うでしょう。でも、ここには何か大切な教育根本の問題点が隠れている気がします。

 

その問題を考えるには、高校に毎日通っている人がどんなモチベーションなのかを明らかにする必要があります。まず一つとして単純に学校が楽しいからでしょう。友達と会話をしたり、部活をしたり、と何らかの楽しいことができる場が用意されていることが最も大きな原因なんじゃないかと思います。

 

おそらく最も多いのが、「みんなが行くから」というもの。大人たちと同じで、みんながやっているというだけで何かしらの意義や充実観を感じているのでしょう。学校が楽しいと思う人がたくさん集まるとそれがシナジー効果を生み出してより強力なものになります。

 

中には、はっきりとした目的意識を持っている人もいるかもしれません。良い大学に行くため、良い会社に就職するため、賢くなるため、など、何らかの目的に対する手段という捉え方です。目的が確固たるものであれば、十分なモチベーションになります。しかし、こういうタイプの人はかなり少ないんじゃないかと思います。

 

なんとなく無気力を言い換えれば、学校は楽しくないし、学校に行く意義も感じられない、ということになります。特に高校は義務教育ではないので(正確には小中学校も子供に課された義務ではないですが)、行かないという選択も十分現実的です。面白くないし、意義もないならその行動を取る意味はないですよね。

 

先生方がいかに勉強が大切かを説いているかは知りませんが、それが学生たちに伝わっていないということを表しています。いえ、実際には勉強の大切さを子供に教えたところで、本当の意味を理解することなんてできないでしょう。役に立つのはずーっと後なのですから。

 

私のような進学校の学生ですら、勉強することの意味なんてほとんど理解していませんでした。ただ、学校が楽しいから行くし、みんなが勉強するから勉強する、というサイクルが自然とできていただけです。こういった好循環を生み出すためには、まず学校という場所を面白くすることこそが喫緊の課題になります。

 

とりわけ、学校が昔に比べて面白くなくなったわけではないと思います。昔と同様、文化祭や体育祭などのイベントもやっているでしょう。しかしながら、学校を取り巻く環境は日々一刻と変化しています。少なくとも、不登校者数の多さから、学校に行かなくても、学校に行くよりも面白いことができる、そう認識する人が増えていることは予想されます。

 

例えば、私たちがまだ中学生になったばかりの頃は携帯電話自体がほとんど普及していませんでした。つまりこの時代においては、「友達と話ができる場所」というだけで、存在価値があったわけです。

 

しかし、携帯電話が普及したことにより、その価値は低下していきました。しかもLINEやフェイスブック、ツイッターと人と繋がるのがこれほど容易になってしまった今、友達と話ができる場所としての価値は皆無と言ってもいいでしょう。

 

また、スマホが一台あれば、大人がハマるほどクオリティの高いゲームやYouTubeなどの動画サイトを無料で利用することができます。一人で無料で楽しめる環境が整った今、学校でできる楽しいことと言ったら部活ぐらいしか残らないんじゃないですか。もしかするとスポーツの類も、任天堂Wii sportsなどに取って代わられているかもしれません。

 

学校側は教育の質云々の前に、学生が楽しい学園生活を送るための環境を整備する必要があります。極論を言ってしまうと、学校の面白さはその学校に集まる人の面白さでほとんど決まりますが、今の時代だからこそ学校でしかできない楽しいことの意味を、学校側は改めて考え直す必要があるんじゃないでしょうか。