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そして今日も考える。

オリンピック以外にもドラマはある

ソチオリンピックが始まってるんですってね。テレビも見ない、ニュースも見ない、人とも連絡を取らないので、世間の情報には極めて疎くなっています。なんでも羽生さんが金メダル取ったとか。何の種目かは知りません。

 

私はいつも思うんですよね。オリンピックって何がそんなに面白いんだろう?って。別にオリンピックの魅力を否定しているわけではありませんよ。一生懸命頑張ってきた人たちが競い合って、その結果が一瞬で決まる。その一瞬の勝負にいくつものドラマが存在するわけです。スポーツをやってきた者として、そこに魅力を感じていないわけではありません。

 

でも私は、日本人が金メダルとったことに対して、「嬉しい」とか「感動する」とか「勇気をもらう」ということはないんですよね。悲しい人間です、はい。まず、同じ日本人というだけでは全く親近感が湧きません。それだったらもう少し範囲を広げて、同じ地球人がメダルをとったことに対して喜べませんか。それなら、誰がどの競技でも誰かが必ず金メダルを取るので喜べるでしょう。でもそういうことはないはずです。

 

成功までのストーリーみたいなドキュメンタリーの番組も感動に値するでしょう。でも、私はどちらかといえば、同じように努力してきたのに結果を出すことができず、何も伝えることのできなかった人の存在を考えてしまいます。「あの人はこんなに一生懸命やってきたから結果が出たんだ、よかったね」よりも、「あの人は結果が出たからこんなにチヤホヤされているけど、この裏側には何人もの人が結果を出せないばかりに誰からも見向きもされなかったんだろうな」なんて思います。悲観的かもしれませんが。

 

私の母や兄はオリンピックを好んで見ます。彼らもやはり人間ドラマに魅了されているのでしょう。一方でバラエティ番組についてはかなり批判的です。でも、バラエティ番組だって、みんな一生懸命取り組んだ末に作品になっているんではないでしょうか。非全力で人と人とがぶつかり合うことにしか魅力を感じられないのも、少し悲しい気がします。

 

だいたい平凡に生きてきた人だって、実は色んなドラマがあるものです。何の結果も出していない人が何も頑張ってこなかったわけではなく、大半の人は頑張っても結果が得られないものです。そこには派手ではないかもしれませんが、人間ドラマは存在するはずです。派手に演出されているオリンピックなら誰だって躍動感を感じることができるでしょう。しかし、逆説的に言えば、平凡な人生の中にドラマを見出すことはできないんでしょうね。まぁ難しいことですが。

 

平凡な人生とは自分の人生のことです。自分の人生なんて自分にとっては平凡にしか感じられないものです。でも、他人にとっては実は平凡ではなかったりするんですよ。自分の身近な人の中に面白い人生の歩み方をしている人はたくさんいるでしょう。でも他人にとってのあなたの人生ももしかすると平凡ではないのかもしれません。

 

オリンピックに出場するのは明らかに非凡な人生です。そのため、わかりやすい。でも、他人の話の中にもドラマを感じる要素はたくさんあります。むしろ、オリンピックの非凡性は、その公開が常態化してしまっているので、私にとってはあまり関心を持てない事柄になっています。オリンピックも確かに魅力的かもしれませんが、もっと身近な存在の中にも人間ドラマを見つけられるようになると毎日が楽しいはずです。