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そして今日も考える。

リモートワーク

 

強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」

強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」

 

 もうすでにいくつもの会社でリモートワークが実践されていることを知らされた。日本企業の多くはまだまだオフィスで仕事をするのが当たり前だが、生産性に本気で課題意識を持っているならば、自ずとリモートワークという選択肢が妥当になるように思える。

 

私もかれこれ七年間も大学(院)生生活を送ってきたわけだが、「学校へ行く」ということに対してずっと疑問を持っていた。高校までは、友達に会うためであったり、部活というモチベーションがあったので、毎日朝早くから学校へ行くこと自体に不満を感じたことはあんまりないが、「勉強の成果」という観点では、学校へ行くことと、学校で勉強する時間全てが非効率的だと思っていた。

 

通学の隙間時間に勉強をする人もいたようだが、隙間時間にできる勉強や作業は限定される。大学院生活で言えば、隙間時間にできる作業はないし(そもそもバイク通学だったし)、研究作業で考えても研究室にいると作業があまり捗らない。知的なタスクに必要なのはまとまった集中できる時間と適度に静寂な環境だ。

 

もちろん、勉強と仕事は違う。チームで働くことが求められるからだ。全員の意思疎通、情報共有などを考慮すると、一つのまとまった空間をシェアする方が効率的なのかもしれない。でもそれによって作業効率が落ちていることは明白だ。そして、今はコミュニケーションツールが発達している。わざわざ会って話さなくてもスカイプを使えば簡単な意思疎通はできる。

 

就職活動時、中規模のIT企業のインターンシップに行った。そのインターンシップは東京と大阪で合同で開催された。ここでの合同とは、大阪と東京の学生がモニターを介して同じ説明を聞き、同じタスクに取り組む、ということである。(ちなみに説明をしてくれたのは東京の社員さんであった。)

 

東京の学生と大阪の学生が同じ人の声で同じスライドを見ながら説明を聞き、質問があれば問題なくできる。多少のタイムラグはあったが、問題なく意思の疎通はできたし、昼休みには東京の学生とも気軽にコミュニケーションをとることもできた。遠隔地であってもかなり立体的な情報を共有することができるのだ。

 

もちろん、実際に同じ場所を共有するのと、ブラウン管越しに話をするのでは違う部分もある。相手の顔は見にくいし、相手の声のトーンも伝わりにくい。ブラウン管越しではまともな人間関係の構築はできないだろう。でも、それは仕事の進捗において本質的ではない、感情的なものに過ぎない。

 

そして、感情とは仕事をする上では本来省いたほうが良いものである(例えば、論理性に欠けることでも迫力があると説得されてしまう、などの弊害もある)ため、むしろ必要のないものを省くという意味ではかなり効果的な手法だと感じた。もちろん、全てがブラウン管越しのコミュニケーションになってしまうと、長期的に人間関係の問題が現れてくるかもしれないが、リアルでの対話を少しでも確保しておけば、毎回毎回直接会って意思疎通をする必要はない。仲良しごっこをしたいのなら別であるが。

 

こういう事実を踏まえると、みんなで同じ場所に集まるのは週一ぐらいでいいんじゃないかと思う。私の研究室生活を振り返ってみても、週一ぐらいで学校にいけば作業に没頭できる時間はかなり確保できるし、その一回が少し楽しみになったりもする。週に一回しか会えないと、むしろその時間を大切にするようになるし、その分質の高い人間関係も生まれるものだ。仕事をする上での精神的な安定と作業の効率化を兼ね備えることができる。

 

この本にも書かれていたが、リモートワークをする(全く人に会わない)と、作業ばかりをするようになってしまい、精神がどんどんおかしな方向へと傾いてしまう。孤独は人を狂わせるのだ。私もよく陥るし、自分では中々感知できないところが怖い。だから週に一回はオフィス勤務、というわけだ。問題になるのは会社のお偉いさんがこういった考え方を柔軟にできるかどうか、というところである。私の会社でもリモートワークが取り入れられることを切に願う。