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そして今日も考える。

NPOに入る前に考えておきたいこと

近年はNPO非営利団体)の人気が高まっているらしい。海外では大手企業より人気ランキング上位を占めるNPOも存在するようである。もちろん、日本においてもNPOが将来の現実的な選択肢になりつつある。東日本大震災などの影響もあってか、人の役に立ちたい、誰かを助けたいと考える人が増えたことが背景にはあるのだろう。

 

こんな記事を書くことにしたわけだが、私自身、NPOについて知っていることは非常に少ない。自分自身が就職活動をしていた時も、NPOという組織を選択肢に入れることは一度もなかった。

 

私がNPOを選択肢に入れなかった最も大きな理由は、社会貢献を労働の最上位に位置づけることができなかったからだと思う。実に偏見にまみれた考えではあったが、当時に私にとっては、「資本主義社会では生き残っていくことができない人たちの集まり」ぐらいに思っていた。

 

ちょうど、大学の部活とサークルの関係のようなものを感じていたのである。大学において、部活では「勝つこと」に焦点を当て、サークルでは「楽しむこと」に焦点を当てるものだ。何も、部活では楽しむことを疎かにしているわけではないし、サークルだって勝つことを放棄しているわけではないだろう。厳密に言えば、勝利にこだわることでより楽しむことができる人が部活に属し、勝利にこだわらない方が楽しむことができる人がサークルに属する、といったところだろうか。

 

これを社会に置き換えてみると、企業では「利益を上げること」に焦点を当て、NPOでは「社会貢献」に焦点を当てている。企業に属する人たちは、利益を上げることが社会貢献に直結するものだと捉えている反面、NPOに属する人たちは、利益の追求に走らない方が社会貢献に繋がると考えているのだろう。

 

これらは単なる価値観の違いなのである。しかし、なぜかここでは暗黙の優劣評価がくだされてしまう。サークルよりは部活の方が、NPOよりは企業の方が偉い(?)感じがしないだろうか。私は、部活に入っていた人がサークルを否定したり、企業で働いていた人がNPOを偉そうに批判する声を何度か耳にしたことがある。

 

そうなってしまうのも無理はない。多かれ少なかれ、人の価値は能力や収入により定まるものだと私たちは考えているからだ。部活に所属している人の方が能力は高いし、企業に所属する人の方が収入は多い傾向にある。

 

しばしばNPOに入ることは負け組のような言い方をされることもある。しかし、本気で社会貢献がしたくてNPOに入るなら、そういった罵詈雑言をいちいち気にするような精神ではいけない。

 

最近になって思うのは、やはりNPOでしかできない事業は確実に存在するということである。具体的には、弱者(ここではお金のない人たち)を救う事業はNPOにしかできない。

 

企業が社会貢献をしていないとは言わないが、企業が取り扱う社会は「お金を持っている人」たちの集団が構成する社会である。利益追求が目的になっている以上、お金を払ってくれない(あるいはお金を今後払う可能性のない)人は対象外となってしまう。

 

近年は、ITサービスが無料で一般ユーザーに提供されることも増えてきた。そういう意味では、お金のない人たちが構成する社会に対して企業が貢献できるようになってきたと言えなくはない。

 

しかし、直接的にお金を払っていないだけで、間接的にはお金と同等の価値あるものを提供しているのだ。私たちが無料で様々なITサービスを使う上で、その情報が勝手に売却されているのである。今はユーザー自体が商品化しているのだ。自分たちも知らない自分の価値が、知らないところで売買されているのだ。

 

つまり、そういう潜在的な価値すらも持ち得ない人に対して、企業は貢献することはできない。ビジネスの世界なんかでストイックに生きている人たちはどうしても、弱者が弱者であるのは自己責任だと考えてしまいがちだが、境遇によっては弱者にならざる人も存在する。そして、そういった人たちを救うことができるのはNPOというわけだ。

 

私は本質的な弱者はかなり少数だと考えている(私の狭い経験ではそういう人たちに会う機会がなかった)ため、NPOへの関心は低い。しかし、そういう層の存在を知り、そういう人たちの役に立ちたいと考える人にとってはNPOは良い環境なのであろう。

 

しかし、そういう人たちには、お金よりもやりがいが大事だと心の底から思ッて欲しいと思う。企業で働いている人に見下されたからといって、劣等感を感じるようであれば、自分の気持ちにウソをついているということである。どっちが偉いとか気にせず、弱い人達を助けたい、そう願う人達ならば、NPOという選択肢もアリなのかもしれない。