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そして今日も考える。

スキマ時間の活用法を考える前に考えるべきこと

時間に追われるビジネスマンにとって、スキマ時間を有効に使うのは大切である。5分の使い方で人生は変わる、と言われるほど、小さな時間の積み重ねは意外と大きい。らしい。

 

かくいう私は基本的にスキマ時間の使い方がうまい方ではない。とは言え、最近は、スマホアプリの高性能化、ツールの進化などもあり、スキマ時間を使いやすい環境自体は整ってきたように思う。

 

ありきたりではあるが、通勤時間、待ち時間に読書をしたり、vingowのようなニュース系アプリで情報収集をしたりすることもある。純粋にフェイスブックツイッターを確認したりすることも増えた。移動中にグーグルマップで行き先を確認したり、交通網を調べたり、なんて皆も当たり前にやっていることだろう。

 

ただ、スキマ時間を有効に活用できている自分に満足してはいけない。結局のところ、本当に差がつくのはまとまった時間の使い方である。私がスキマ時間を使いこなすのは苦手であると述べたのは、そもそも人間はまとまった時間にしか本領を発揮できないと考えているからだ。それは勉強とか成長とかそういう真面目な話だけではなく、遊びにおいても同じである。

 

例えば、5分の時間があれば数ページでも読書をする、という人もいるだろう。もちろんしないよりは良いのかもしれない。私も人を待っているときは必ずといっていいほど読書をしている。

 

しかし、一ヶ月間5分ずつ読み終えた本と、一日で2時間半かけて読み終えた本、どちらがよりその本の内容を理解できているか、というと後者だ。小さく積み重ねるよりもドカンと一撃をお見舞いした方が深いところまでいける。これは、地面に穴を開けたいとき、スコップに少しずつ力を加えていくよりも、一気に地面に突き刺した方が深くまで掘れるのと同じ原理である。

 

スキマ時間を上手く活用すること自体は否定しない。しかし、スキマ時間の活用法を考える前に、スキマ時間をくっつけてまとまった時間にできないか、について考えてみた方がいい。

 

あちこちに偏在するスキマ時間を融合することができれば、1つのまとまった時間を作ることができる。どちらの方が楽しめ、どちらの方が学習できるかを考えれば、一目瞭然である。良いインプットも良いアウトプットも、まとまった時間から得られるのだ。まとまった時間の本当の効力を知っている人は、一時間に一回もある休息は単なる邪魔であることに気づいている。