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そして今日も考える。

定量化と具体化の限界

計画は定量的かつ具体的に

目標や計画といったものは定量的かつ具体的であることが一般的に求められる。例えば、大学受験で東大を志望している人がいるなら、「東京大学に合格する」を目標にするのではなく「東大入試の英語〇〇点、数学〇〇点」のような目標にした方が間違いなく実現可能性は高まる。

 

実際には長期的かつ抽象的な大目標を設定した上で、その大目標を達成するための中期的な目標、そしてさらに、中期目標を達成するための短期的な目標を立てる、というケースになるのであろう。その短期的な目標が具体的であればあるほど良い。

定量的、具体的であることの利点

なぜ、具体的、定量的である必要があるのか。一番の理由は、フィードバックができないからである。つまり、計画に対して現状はどうなのか、振り返ることができない。あとは、具体的であった方が行動に移しやすい、という利点もある。

 

また、定量的に立てた計画は、私の企業も大好きなPDCAサイクルと親和性が高い。例えば、「今週内に問題集一冊を解く」という計画を立て、もし実行できなかったら、なぜできなかったのか?を問題として考えることができ、その上で課題を設定することができる(なぜ時間内に終わらなかったのか?→計算スピードが遅かったから→計算力を鍛える、といったように)。

PDCAサイクルフレームワークに過ぎない

個人的にはPDCAサイクルフレームワークというほど大げさなものでもないと思っている。会社としては推奨しているようだが、わざわざフォーマットまで用意して考えるほどの費用対効果は望めない。おそらく、賢い人は経験的に要所要所でこういった思考回路を回しているものの、常にこんなことをいちいち分析しているわけではない。

 

もちろん、意識しないとそういう考え方のできない人もいるだろうし、そういう考え方ができない人にとって意味のあることなのかもしれない。しかし、これをひたすら考えれば成長できる、というのはどう考えても甘い。特に馬鹿げているのが、PDCAフレームワークに当てはめるためにわざわざ計画を定量化する、ということだ

 

例えば、仕事の現場で業務知識を身につけなければならないとする。この時、「業務知識を理解する」ことを大目標として設定したとしよう。では、そのために何をするか、というと当然、「一週間業務知識を勉強する」ということになる。しかし、その目標は漠然としているので、PDCAサイクルで考えるのには適していない。よって、「一週間で業務資料50ページを読む」みたいな目標を設定した方が良い、という話になる。

 

で、勘の良い人なら気づくと思う。あれ、目標がすり変わってるじゃないかと。定性的なものを無理矢理数値化したことによって目標の本質が削ぎ落とされたのだ。50ページ資料を読んだら業務知識が身につくわけではない。これに関して、できたできなかったと判断したところで、実際の「業務知識を理解した」状態になど到底辿りつけない。

 

定性的なままで判断できるように

今までも実に様々な性質を数値として扱おうとする取り組みがなされてきたが、結局のところ、定性的なものを定量的に扱うのは事実上不可能である。例えば、偏差値が高くても賢いとは限らない。なので、賢くなりたい人が安易に「東大合格」を目標にしたところで、目標設定の段階で間違っているのである。

 

定性的なものは定性的なまま感覚で判断するしかないのである。それは抽象的であり感覚的なため、言語化することもできないと思う。スポーツの型みたいなものに近い。具体的な動作を理解しているわけではないけど、なんとなくできる、みたいな。

フレームワークはあくまで補助

確かに数値目標にできるのであればそうした方が良い。しかしあくまでフレームワークは補助でしかないことはちゃんと理解しておくべきだ。(実際、コンサル系の会社はフレームワークをそのまま使ったりはしていない。)そうやって無理矢理数値化して本質を失ったPに対して、DCAを考えるなんて時間の無駄でしかない。定性的なものを定性的に判断できるようになろう。私が今まで出会った人の中でも、仕事が出来る人はみんななんとなーくで問題を感じとっていた。