∑考=人

そして今日も考える。

Web化することの意味

この世の新しい製品やサービスは大抵、既存のものを特化させるか汎化させるか、このどちらかのプロセスを経て生まれる。それが革新的であるためには他の要素も必要となるが、特化か汎化させれば新しいものとして定義される。

 

ひょっとすると、研究の題材発掘プロセスに関係しているのかもしれない。新しい研究のネタを見つけるのに苦労しているのなら、先行研究を特化あるいは汎化させれば、研究方針ぐらいは決めることができる。

 

例えば、過去にイヌの心臓について調べた研究があるのであれば、今度はネコの心臓について調べるでもいい。あるいは、イヌの心臓も含めた臓器系について調べるでもいいし、イヌの心臓の中の右心室にだけついて調べるでもいい。もちろん、これほど単純な研究は実際には無いが、考え方の本質は基本的には変わらない。

 

そういった意味で、サービスがWeb化するというのは特化に当たる事が多い。Web化=効率化と考える人が多いように、Web化するとあらゆる無駄が削ぎ落とされるからである。

 

例えば、オンラインショッピングは従来のショッピングから、店員との接触行為、移動コストなどをを削ぎ落した。業務のシステム化は人件費という無駄を削ぎ落とすし、最近人気のWeb講義なんかも、移動コストや人とのやり取りを削ぎ落としている。

 

ただ考えるべきなのは、それが必ず正しい形ではないということだ。得てしてWeb化は人との関わる時間や単純作業を無駄だと考える思想の上に成り立っていることが多い。でも人との関わりの中には楽しい要素も含まれているし、単純作業を楽しいと感じる人もいる。車の運転時間を無駄だと考える人もいれば、楽しい(必要)と感じる人もいるのだ。

 

もちろん、全体としてWeb化が進めば、それだけ世界は多様になり、選択肢が増えるという点においては素晴らしいとは思う。でもWeb化されたものが最高という風潮が出来てしまうと、それはあまり良い現象とは言えないかもしれない。

 

よく引き合いに出されるのは、コミュニケーションである。今もっとも利便性に特化したコミュニケーションはメールである。伝達手段を言葉だけに絞っているという意味でも特化されている。それに対し、もっとも汎化されたコミュニケーションは対話である。

 

私はメールしかしません、という人はほとんどいないと思う。たとえ現実的にメールでのやり取りだけで全ての人間関係に対処できるとしても、人は対面で話すはずだ。対面で話すことには相手に会いに行くまでの時間や、余計な情報まで伝えてしまうデメリット以上のメリットが存在するからだ。

 

もちろん、これは相手によりけりだし、目的にもよりけりなので、適切に私たちは使い分けている。万が一、全ての人間関係をメールで対処したいと考える人がいるなら、そうするのも良い(現実的に不可能だが)。大切なのは、自分に合った方法を選ぶことだ。無理にWebの流行りに流される必要はない。