∑考=人

そして今日も考える。

楽しくない節約をするぐらいなら働こう

この世にはお金をケチるためには労力を厭わない人がいる。果たしてどのぐらいの割合の人がそうなのかはわからないけれども、私の周りにも沢山いた。私はそういう人たちをしばし尊敬している。

 

配送料を掛けたくないから、直接購入しに行く。銀行の手数料が勿体無いから、少し遠くの銀行まで引き下ろしに行く。食費を少しでも浮かせるために少し遠くのスーパーまで行く。隣の町までの電車代が勿体無いから歩いて行く。

 

私にはこういった考え方は全くない。むしろ全てが正反対である。直接購入しに行くのが面倒くさいからほとんど通販で購入するし、すぐにお金を下ろしたいから最寄りのコンビニで手数料を払う。最も近くのスーパーで食材は揃えるし、タイムセールの時間なんて調べる時間と労力が勿体無いからその分お金を払う。たとえ、隣町まででも、電車に乗るが面倒くさいときはタクシーすら使う。

 

別に節約するのが趣味とか楽しいのであれば、前者の考え方は理解できる。むしろそうするべきだ。しかし、全ての人にとって節約が楽しいはずもないだろう。私は大嫌いだ。

 

そもそもお金って何のためにあるか考えたことがあるだろうか。生きるため?「生きるため」では不十分だと思う。それならば、毎日がどんなに辛くてもただ生きてさえいければいいということになってしまうからだ。

 

むしろ実際には、「欲しいものが買いたい」とか「楽しいことがしたい」みたいな願望を叶えるために使っている人がほとんどだろう。価値あるものを手に入れるためにはお金が必要だということにはみんな気づいているのだ。

 

しかし、そのちょうど反対である、不利益を避けるためにもお金が必要であることに気づいている人は少ない。正しくは、不利益を受容すればお金が手に入るという解釈をしている人の方が多い。節約とはまさにそんな解釈に従った行為だ。

 

こういった考え方になってしまうのは、仕事=辛いことをする代償としてお金をもらう行為という方程式が確立されているからだ。もちろん、仕事に辛いことは付き物だ。しかし、辛いことをすればお金を貰えるわけではない。お金は結果に対して発生するものである。結果にたどり着く過程を辛いと感じるどうかは本質ではない。

 

好きなことを仕事にするのが難しいにしても、せめてなるべく苦労せずに(苦労だと感じずに)結果を出せる仕事もあるとリフレーミングした方が良い。そうすれば、節約をした分だけ支出を減らすことよりも、仕事を増やして収入を増やす方が合理的であることに気づくはずだ。

 

何より、時間をお金に変えることはできても、お金を時間に変えることはできない、という前提を忘れてはならない。時間をお金で買える人間になろう。