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そして今日も考える。

日本人が育児をアウトソースしても家事をアウトソースしない理由

最近になって、ときたま結婚について考えることがある。ずっと1人は寂しいとか家庭を持ちたいという理由ももちろん少しくらいはあるが、自分一人だけで健全で健康な生活を生涯送っていくのは難しいのではないか、ということを感じ始めたからだ。

 

とは言え、それに対する解決策として結婚がベストなのか、を考えた時にそれはやっぱり違う気がする。例えば、私なんかは将来的にメイドもしくは家政婦を雇いたい、とか結構現実的に考えている。

 

なぜか日本においては夫が働き、主婦が家事を担当する、という役割分担が暗黙の了解になっている。もちろん最近では女性の社会進出も増えたことにより、女性だけが家事を担当する文化は薄れつつあるのかもしれない。ただ夫と妻の配分がどうであれ、夫婦内のみで家事をする、という結論がほとんどであろう。

 

別に家事が好きならやればいい。確かに掃除や洗濯が大好きだという男も女もいるはずだ。しかし、そもそも家事が嫌いな夫婦が協力して家事をしようとするとどうなるのか。

 

妻の立場から見れば、夫が全然家事を手伝ってくれないという不満が募り、夫からすれば、おれはこんなに働いているのに家事まで手伝わされるという不満が募る。実際にこんなことが原因で離婚に陥る夫婦も多数存在するのである。そんなに家事が嫌なら辞めればいいのでは?

 

個人的には、家事は家庭内でやらなければならない、という前提がそもそも間違っていると思う。育児は家庭内でやらなければならない、という義務感を持つのであればまだわかる。家事と育児のどちらが大切かと問われれば、育児と答える人が圧倒的多数のはずだ。しかし面白いことに、家事よりずっと大切な育児の方が保育園などにアウトソースされまくっているのが現状だ

 

育児は保育園に任せているけど、家事は夫婦で分担しているというのであれば、少し考えてみた方がいい。なぜ自分は大切な子供を保育園にあずけているのか。答えは簡単に出るはずだ。夫婦共働きの場合、自分たちで面倒を見ることが(物理的に)できないからである。

 

では、最初の質問に戻る。なぜ、家事は自分たちでやるのか。自分でできるから、という声が聞こえてきそうである。これはつまり、物理的に、理論上は可能、ということである。

 

この際はっきり言っておくと、「物理的に可能」とか「理論上はできる」みたいな考え方に期待を抱くべきではない。喩えて言えば、「確認の徹底さえすればミスは100%起きない」とか「根性があれば乗り切れる」というぐらいに甘く傲慢な考え方だ。

 

人間は1%の可能性をチラつかされると、ついつい期待してしまう生き物である。出会い系のサクラに引っかかったり、占い師の言うことを信じて変な壺を買ってしまったりするのも、原理としては全く同じである。

 

共働き夫婦の場合に話を戻す。四六時中育児をすることは100%無理だとわかっているので、育児ができないという前提に立って物事を考える。その結果、保育園に預けるという選択ができるようになる。

 

しかし、家事を2人で分担してやる、というのは100%無理ではないどころか、感覚的には当たり前にできるだろうと思える。家事は自分たちでできるという前提に立って物事を考えてしまうのである。こうなったら最後、家事を第三者に委託するという考え方はできない。ただし先に述べたように、それができずに離婚する人もいるのだ。精神的ストレスを抱えてまで自分たちで家事をする必要があるとは私には全く思えない。

 

家事は楽しくないけど家政婦を頼むとお金がかかる、と考えている人もいるだろう。そんな人は一度料金や雇用形態を調べてみるといいだろう。何も常駐させる必要はないし、育児なんかよりもずっと安く済ませられることに気づくはずだ。

 

育児のお金は仕方ないと言って払うのに、家事はお金がかかるから嫌だと考えている人も、単純に家事は自分たちで出来るものという固定観念に囚われてしまっているだけである。みんなもできているから自分にもできるはずみたいな傲慢はやめた方がいい。

 

よく、当たり前のことを当たり前にこなすのは難しいと言われる。実際に、みんなが当たり前だと考えていることを当たり前にできている人なんてごくわずかで、できるフリをして苦しんでいる人が沢山いるだけなのである。