∑考=人

そして今日も考える。

話し合いで物事が決まることはない

これが私の会社だけなのか他の会社もそうなのかは定かではないが、私たちの会社は打ち合わせが多い。もちろん、打ち合わせに目的がないわけではない。ただ、その目的を達成するために打ち合わせというのは全く適していない。

 

大抵の場合、決めなければならないことが発生すると、打ち合わせが開催される。チームで仕事をしている以上、権限的に一人では決められないことはあるので仕方がない。ただし、だからと言って、自分の考えを持たずに、とりあえず打ち合わせしてみんなで決めましょうというスタンスの人があまりにも多い。あろうことか、課長がそんなスタンスだったりする。

 

叩き台のない打ち合わせは必ず破綻する。破綻までの道筋は概ねパターンが決まっている。はじめに、打ち合わせの目的とアジェンダぐらいは開催者から紹介される。働き蜂の理論に則り、決めなければならないことに関して、2割ぐらいの人はポツポツと発言する。ただ事前に考えていなければ簡単に答えが出るようなテーマではないことも多いので、その場は煮詰まっていく。

 

すると、沈黙に耐え切れなくなった人たちが、少しずつ論点をずらしながら発言をしていく。無言に耐えられないがために、本来の目的とは全く関係のない議論を展開してしまうのである。そして、それについて誰かがまた意見を言う。

 

意見といっても、「それは別途検討が必要ですね」とか「課題に挙げましょう」みたいな話だ。結果、何も決まらない。もちろん、何も決めないわけにもいかないので、「こんな感じの方針で行きましょう」、ぐらいの結論に落ち着く。そして、打ち合わせは完了した、みたいな感じで仕事をカウントしているのだ。

 

私も昔は、チームのことはみんなで決めるのがいい、と思っていたことがある。独りよがりの意見ではなく、皆の妥協点を見つけた方が全体として一番いいと思っていたからだ。でも、それは間違い。というか、全員が自分の意見を持っている人間だった場合に限る。

 

優秀な人は、必ず意識合わせの場の前に、自分なりの素案を用意する。優秀な人の開く打ち合わせは、素案に対するフィードバックの反映と全体共有のみが必須事項となるので、議論もまとまりやすいし、短い時間で済む。要するに、話い合いなんて無意味なのだ。

 

何かを本当に決めたいなら、それが自分だけに閉じた話であろうが、他者を巻き込むことであろうが、自分が決めないといけない。そして、それがリーダーという役割なのだろう。私のチームのPM層はその観点が欠けているから困ったものだ。