∑考=人

そして今日も考える。

生まれてくる子供に意志はないのだから出産も代理出産も大差ないのでは

今読んでいる本の中で代理出産の是非についての討論が出てきたので、私もちょっと考えたいと思います。

 

代理出産とは言葉の通り、本当の母親とは別の人が代理で赤ちゃんを産むことです。なぜこのようなことをする必要があるのかというと、女性ならば皆が赤ちゃんを埋めるわけではないからです。子宮が正常に機能しないために子供を産めない人はたくさん存在します。

 

しかし、医学は進歩しました。今では受精卵を別の人の子宮に入れて出産することが可能です。自分で子供を産めないからといって、子供のいる人生自体を諦めなければならないわけではなくなったということです。これは少なくとも母親になりたい女性にとっては良いことなのでしょう。

 

とは言え、実際のところこの代理出産は法律で禁止されていないものの、倫理的に問題視されています。個人的には何がダメなのかいまいちわかっていなかったんですが、「ベビービジネス」と言う言葉を聞いて少し危険な印象を持ちました。

 

代理出産をするためには、当然、出産を依頼する本当の母親と代理出産をする代理母がいます。当然、第三者がタダで引き受けてくれるはずもありませんから、依頼者は代理出産をする人に対価を支払うようになるわけです。まぁ考えてみれば無償で腹を痛めて他人の子供を産むというのもおかしな話ですから、至極当然のこととは言えます。ここまでは市場原理的に仕方ないのかなとも感じます。

 

問題なのは、これがエスカレートしていき、精子卵子そのものが売り物にされる(しかもオンラインで)という現象が起こっていることです。これがベビービジネスです。ちなみに優秀な人の精子卵子は高く売れるそうです。

 

そもそも私は代理出産というのは、卵子を他人に預けて代わりに別の人に産んでもらう(つまり実際に生まれてくる子供は正真正銘本当の母親と血の繋がりがある子供である)ことを示すと思っていたんですけど、実際には色んなパターンがあるんですね。

 

例えば、そもそも卵子がない女性や精子がない男性が結婚して子供が欲しい場合、第三者の精子と第三者の卵子を体外で受精して、しかも別の女性に産んでもらう、というのも代理出産と呼ばれるみたいです。そしてこれがまた技術的には可能なんですね。これはぶったまげた。

 

私あんまり倫理感ないですけど、これはちょっと嫌悪感を感じました。もう代理出産が無償か有償かなんて関係ないですよね。要するに、友達のペットの子供をもらうぐらいの感覚で、人間の赤ちゃんを他人にもらうのと一緒じゃないですか。子供をモノみたいな感覚で捉えているとしか思えません。そんな風に、ある程度親にとって子供が選択可能になる、というのも怖い点です。

 

私が考え難かったのは、たとえ他人の赤ちゃんをもらってでも自分に子供ができれば幸せと感じる人がいることですよね。そりゃ子供を産めないのは辛いでしょうが、それって子供の気持ちはちゃんと考慮されているんでしょうか。絶対に考慮されていません。

 

ただ残念なことに生まれてくる前の子供の気持ちなんて考慮のしようがないんですよね。生まれる前の人間は人権を持つのか、みたいな議論があるように、まだ明確な意志を持っていないからです。持っていたとしてもそれを外部に伝える手段がありません。

 

だから、生まれてくる前の子供の気持ちなんて考えても無駄なんですよね。たとえ本当の母親から生まれてきたって生まれてこなければよかったと思う人もいれば、血のつながらない親に育てられたけど生まれてきてよかったと思える人もいる。そして、それらは全て生まれた後の環境を通じて子供が感じることなんです。つまり、生まれる前に子供の気持ちなんて大人たちの偏見で判断すべき事柄ではないのかもしれません。

 

正直、子供が選択可能になる、というのは私からすれば気持ち悪いです。でも実際問題、それが当たり前の世界の中に生まれてきた子供たちにとっては、それが良い世界いではないとしても、必ずしも悪い世界でもないのだと思います。つまり、それは代理出産を認めようが認めまいが、子供にとって大きなプラスもマイナスもないということです。