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そして今日も考える。

ロジカルな説明を心がける前に補足資料を作るべし

私は「プレゼンテーション」という行為が昔から嫌いだ。そもそも得意ではないし、あの、何とも言えない茶番っぽさが嫌いだ。そして、何より「あの人はプレゼンテーションが上手い」と言われる人のほとんどが、声の調子や話し方が丁寧であるだけの場合が多い。

 

試しにアンケートでも実施すればわかると思うが、プレゼンが上手いと感じることと、相手のプレゼンした内容が良く理解できることはほとんどの場合一致しない。プレゼンの本質は伝えたいことがどれだけ相手に伝わるのかであるはずなのだが。正確には、「あの人はプレゼンテーションが上手い」というための必要条件は「その人が言ったことを自分が理解できている」ことでなければおかしい。

 

結局のところ、プレゼンという行為は「説明」というよりも「演説」に近いのである。選挙に当選する人の発言内容が必ずしも結果に直結しないのはこのためである。堂々と落ち着いて話す人の言うことを人は信じるし、分かった気になるのだ。

 

スティーブジョブズのプレゼンテーションが非常に評価されている理由は彼がプレゼンテーションが上手いこと以上に、伝える情報量を徹底的に削減したためだ。しかし、残念なことに企業間のプレゼンテーション、あるいは卒論発表において、あれだけの情報量にまで削ることはできない。

 

もし、プレゼンテーションスキルを伸ばしたいのであれば、一にも二にも資料作りである、と私は思っている。いかにロジカルに話すか、という点を意識する人はいるのかもしれないが、いくらロジカルに話した所で人間のワーキングメモリには限界があるし、それほど大容量ではない。

 

普段の説明においてもそうだが、言葉だけの説明で伝わることはないのだ。それは説明の仕方が悪いのではなく、単に聞き手となる人間の理解力不足のためである。ちなみに、補足資料なしに2、3分以上大事な話や仕事の指示をするのはどんなに偉い上司であろうが無能だと言っていい。

 

ほとんどの人間は視覚から大半の情報を得て生きているので、程度の差はあれ視覚優位なのだ。説明するときも相手が視覚的に理解できるような工夫をさせるべきである。補足資料があった方が説明する側としてもやりやすい。若手のうちから補足資料を作る癖を付けておくと、後になっても参照できるし、何かと役に立つ。