∑考=人

そして今日も考える。

働かない人々をいかに認めていくか

以前の記事で、働かなくても良い世界が次の理想の社会だと話した。「これからの仕事は遊びになる」とか、「娯楽のみで生活をしていける社会が理想」などのコメントを残している著名人はいるし、別の言葉であっても、同じような認識をもっている人は沢山いると思う。

 

で、「働かない選択肢」を実現するために必要なのは、農業や医療といった、人間が最低限生きるために必要な仕事の自動化の推進もあるけれど、最終的に一番のネックになるのは、働かない人々を社会がいかに認めていくか、という部分だと思う。

 

今、働かない人々、いわゆるニートは全国に60〜70万人ぐらいいる。この数値を見て、ニートってこんなに多いのか、どっひゃーと感じるのが普通の感覚なのだと思う。しかし、全国民比率で考えれば0.6%と1%にも満たない。高齢者が国民の1/3を占めているとしても、やはり1.8%である。若者(30歳未満)限定でも1割に満たない程度だ。

 

少なくとも、働かないスタイルが公に認められるためには、30%くらいのニートが社会に存在している必要がある。(ちなみに世界的にはトルコは30%を超えているらしい。)ただ、日本の現在の推移としても年々増加している、という感じでなく、ずっと同じくらいの人口がニートとして生活しているようだ。

 

ニートと聞いて、私の脳裏に思い浮かぶのはphaであるが、彼はもはやニートではない、と私は思う。なぜなら、彼はニートといいつつもなんやかんやで収入を得て生活をしているからである。

 

もちろん、こういう言い方をするからには「仕事」というものをちゃんと定義する必要がある。仕事の定義が収入を得ることなのかと言われればそれは違う。しかし逆に、会社に勤めることでもない。あくまで、一般論としては誰かの生活に貢献することが仕事なのだろう。

 

ただ、何を以って人に貢献していると言えるかを考えた時に、一番近いのが、収入を得ていることなのである。例えば、phaで言えば、ブログサイトの広告費などを収入源としている。ブログで稼ぐなんて何の苦労も必要なさそうに思われるかもしれないが、見ず知らずの人に自分のサイトにアクセスしてもらうことは結構大変だし、何かしらの価値を感じる人がいるからこそ、広告費を稼げるのである。

 

ある意味、テレビ業界や小説家の劣化版(というと世のブロガーたちに失礼かもしれないが…)みたいなものである。ネットで稼ぐことは裏道のように思われるかもしれないが、別に誰でも簡単にできることでもないし、普通に社会に出て働く仕事に比べて価値が劣っているわけでもないことを断っておきたい。

 

また、phaさんは自分の生活のためにツイッターなどで「お金を下さい」的な発言をして、カンパを募ることもしばしばあるらしい。まぁさすがにこの行為は仕事とは呼べなさそうである。

 

しかし、これはカツアゲとは違って、お金を払いたいと思った人のみが払う仕組みであるから、取引が成立するのであれば、お金を払う人にとっては何らかの目に見えない価値があるのである。

 

困っている人を助けてあげたという優越感、あるいはどんな奴が現れるのだろうという期待感と金額が釣り合っているからこそカンパされるのである。こんな楽な方法で生きていく人間などけしからん、と思うのであれば、同じことをやってみれば良いと思う。今はそういうカンパ用のサイトなんかも複数あるし、いわゆるクラウドファンディングなんかも仕組みは全く同じである。

 

他には税金を払っていない、ということに対する批判も当然ある。確かにこういう労働スタイルでは税金は発生しない。日本国民ならば税金をちゃんと支払うべきだと考えるのが一般的なので、こういった社会に出て働かないスタンスはそう易々と認められないところはあるだろう。

 

ただ、冷静に考えてみると、税金の取り方自体がもはや時代に即していない、間違っているのである。そもそも、日本は全国民から平等に税金を収集しているわけではない、平等にとられるのは消費税ぐらいで、ほかの所得税とか住民税とかその他もろもろの税は会社に勤めている人から天引されるものなのである。そういう国で定めたルールに則っているだけなのである。

 

日本国民なんだから税金を払え!、と言う人は自分より収入の多い人達になんて説明するつもりなのだろう。一般的に、給与所得の多い人ほど多額の税金を払わされる仕組みになっているのはみなさんもご存知のはずである。

 

働いてなくても、日本国民なんだから税金を払え、というのであれば、億万長者と同じだけの税金を自分は払わないといけない(あるいは億万長者も自分と同じくらいの税金を収めてくれれば良い)という理論になる。ルールが問題ではないという仮定で、ニートが税金を納めていないことを批判するのであれば、当然高所得者から全く同じ批判を受ける立場にあることをわきまえておく必要はある。

 

結局、何が言いたかったかというと、ニートが社会的な悪としてみなされているのは現代の価値観でしかない。生きるためには仕事をしなければいけない、というのも現代の価値観であるし、仕事とは誰かに貢献することだというもの現在の価値観である。

 

自給自足で生活している頃は、誰かのために〜とかではなく、自給自足することこそが仕事だったのだ。そして、私たちだって、本音で言えば、仕事とは誰かの役に立った見返りとして手に入るお金により生活すること、だと理解しているはずである。

 

ニートとして生活している人は、親に完全に面倒を見てもらって、何も価値を生み出さない、何も行動しない人ばかりではなくなってきている。はるか昔に自給自足をしていた頃の価値観を持つ人達が、ネットという武器を手にして自由に生きている次世代ニートと言うべきだろう。

 

今はまだニートに対する風当たりは強いが、今後はゆるやかなネットワークでニート同士が繋がり出すと個人的には思っている。そこでは貨幣こそは使われなくとも、互いが異なる価値を交換することで、生活を可能にし、我々が生きているビジネス社会とは全く異質の別社会を作り出すことになるんじゃないだろうか。その時、今の働き過ぎる経済社会を見つめ直し、改めて働くことの意味を追求する時が来る。と思う。