∑考=人

そして今日も考える。

大企業戦士サラリーマン、ときにはただの組織の歯車

一昨日、ウィルス性の胃腸炎にかかった。午後ぐらいからなんとなーく仕事をするのがだるくなって、まぁ今の仕事を進める上での課題もほぼ潰すことができたため、あとは計画通りやりきればいいだけか、と気が抜けたのだろうと思っていたのだが、その後は暖房がガンガンに効いている職場で自分だけがブルブル震えているのはさすがにどうもおかしいと思い、病院へ直行したら、どうやらウィルス性胃腸炎とのことで。確かにお腹もいつも以上にゆるかった。

 

昨日は高熱でしんどくて、会社を休んだ。一人暮らしで体調を崩すと本当につらいものがある。さすがに2日連続休むのはどうかと思い、今日は午前だけ休暇をもらって仕事をするつもりだった。計画通りやるだけだといっても、納品が今週末なので、残っている仕事は片付けなければならないからだ。

 

しかし、いざ会社に行ってみると、帰れと言われた。笑。一つの理由は私の体調を気遣って、もう一つの理由は私の総労働時間を気遣って、である。おそらく後者の理由の方が強い。私が困る、というよりも会社側(特に課長以上)の問題になるからだ。

 

ちなみに、2014年度の総労働時間の平均値は1900時間程度であるが、私の現時点の総労働時間は2280時間である。2300時間以上になるとちょっとした問題になるらしい。私は残業時間のことしか気にしていなかったのだが、残業時間の壁を超える前に総労働時間の壁に引っかかることが近日判明したみたいである。

 

と、まぁ話はズレてしまったが、労働時間の問題があるにせよ、私がやらないといけない仕事はあるけどその始末はどうつけるんですか、と聞いてみると、それはもうこっちでやっとくよ、とのこと。確かに引き継げるようにこっちで資料とかは残してますけど、本当に大丈夫なのか、ちょっと心配だった。

 

でも結論から言ってしまうと、今私がやっている仕事はとりわけ私がやるべき仕事、私でなければ出来ない仕事でもない。むしろ、もともと私以外の人がやらなければならなかった仕事があふれてきたものを、社内ニート化した私がたまたまやることになったというだけの話だった。つまり、誰でも出来る仕事なのだ。

 

もっと言えば、この会社の仕事なんて誰でもできる仕事がほとんどである。(もちろん、うちの会社の人間なら、という条件はつくのかもしれないが。)それはもちろん、私に突出したスキルがない、というのもまた一つの理由なのかもしれないが、突出したスキルがなくとも最低限の仕事ができるように仕組み化されているのが、大企業というものなのである。

 

例えば、私みたいな平社員のぺーぺーではなく、課長や部長という存在を考えたとしても、その人達の代わりなんていくらでもいるだろう。確かに、課長や部長、あるいは事業部長がいないと出来ない仕事、というのもある。例えば決済を承認するとか、お客さんのお偉いさんに誤りにいく、とか。(これは地味そうだけど、結構リアル。)

 

しかし、これは本質的にその人じゃないとできない、ってわけではない。つまりは、その人固有のスキルがあるから務まる仕事ではなく、「課長」とか「部長」といった権限があるから務まる仕事なのである。だから、ランダムで選出した新入社員を連れて来て、「君、今日から社長」と言えば、社長の代わりに仕事ができると思う。と、まぁこれはぺーぺーが考える極端な想像ではあるけれど。

 

こういう、組織の歯車的なのは如何せん悲しい。悲しいとは思いつつ、帰ってきた。笑。もう私の付加価値を発揮するフェーズは終わったからだ。あとの作業部はもういい。頭の部分でちょこっと付加価値を出して、あとの作業を淡々と進める。それがサラリーマンなのだろう。