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そして今日も考える。

「飲み会に来ないなんてけしからん!」という前にちょっと

飲み会に行きたがらないゆとり世代

ゆとり世代が会社の飲み会に行きたがらない、というのは有名ですよね。私の担当部署は比較的飲み会自体は少ないのであまり気にしてませんが、週に何度も誘われるとしたら絶対に行きたくありません。月に1回でも悩むくらいです。

 

こういう状況に対し、年配の方々はけしからん!と思っているようですね。これだからゆとり世代は…と思われていることでしょう。でも、ゆとり世代からすると、おっさんの愚痴を聞くだけの場に行くなんて時間の無駄だと思っているはずです。

 

そもそも会社の飲み会に参加するべきなのか。嫌なら参加しないべきなのか。

老人達の主張

”参加するべき”が大半でしょうね。少なくとも、彼らが若者の頃は問答無用で上司に連れ回された時代です。そして、連れ回された結果、濃密な関係を気づけたり、貴重な意見や経験談を聞けたりして、それが今の仕事に活きている、と考えている人も多いのではないでしょうか。だから、今の若者に対しても同等のことを求めるわけです。

ゆとり世代の主張

参加しないべきでしょう。少なくとも参加したいとは思わない。おっさん達の主張もわかるけど、飲み会のほとんどは、自慢話とかただの世間話とか部署では誰がかわいいとかいついつの飲み会でこんなことがあったとか、大して面白くもないし有益でもない話がほとんどですし。まとめると、魅力的な上司がいないから飲み会にはいかないという意見が主流かもしれません。

価値観の違いによるもの?

一言で言ってしまえば、これは価値観の違いです。昔の人は仕事に対して出世欲とかを持っていたんですね。なぜなら、出世=金=外車=カッコイイ、みたいな時代だったからです。コレに対し、今の若者はワークライフバランス=プラ充(プライベート充実)=カッコイイ、みたいな時代を生きているワケです。極端な人なら、別に仕事の貴重な意見とか要らないです、ということなんでしょうね。(私はここ共感しませんが、うちの会社の女子とかこんな感じの人結構多い気がします。)

 

あとは、無駄撃ちを嫌うのもゆとり世代の特徴ですね。特に私の同世代は私は結構典型例で無駄がとにかく嫌いです。そもそも無駄が嫌い過ぎて、無駄を排除するシステム開発を仕事にしたところがあるくらいです。でも、ゆとり世代にもそこら辺の考え方はある程度共通しているんですね。

 

だから、例えば昔の人だって、上司との飲み会が毎回毎回有意義だったはずがないですし、でも10回に1回くらい良い話が聞けたな(だから良かったな)、ぐらいの感覚だったと思うんですよ。さっき何かのテレビでやってた話の受け売りですけど。ただ、今の若い人たちって、こういう10回に1回しか良いことないのか(じゃあやる意味ないな)みたいな考え方をするんですね。あー価値観の違いだなって感じると思います。

しかし本質的には価値観の違いではないということ

うん。私は実はあんまり「価値観の違い」派ではない。どちらかと言うと、「時代の違い」派なんですよね。まぁ価値観が先か時代が先か、みたいな微妙な違いはありますけど。結局、昔の人は昔の時代の中で合理的な選択をしていただけだし、今の人は今という時代の中で合理的な選択をしているだけです。

老人たちの若手時代

例えば、今ご年配のおっさん方が新入社員の頃って、それこそ携帯電話とかなかったと思うんですよ。少なくとも普及はしてなかったでしょう。これが何を意味するかというと、学生から新入社員として会社に入った途端に、それまでの人間関係がすごく希薄なものになってしまうってことです。せいぜいあったとしても、個人的に中の良い友人の実家にたまに電話をかける、くらいのものでしょう。可能だとしても、友人関係を留めておくための手間暇が今と全然違います。

 

そんな状況の中、会社という組織の中で新しい人と出会います。すると、遠くの親戚より近くの他人、じゃないですけど、会社の人間関係に重きを置くようになります。これが人間関係の相対化です。そして、ある日、飲み会に誘われます。その時にどういう行動を選択するか。学生の頃の友人と遊ぶハードルは高いし、家に帰ってもテレビを見るぐらいしか選択肢がない状態です。じゃあまぁ会社の人と飲みに行くか、という選択が合理的になると思いませんか。

ゆとり世代の若手時代

翻って、今という時代はどうでしょうね。新入社員になった途端に学生時代の友人との関係性が急激に悪くなった人っていますか。いませんよね。私みたいに元々仲良くなかった場合は別として(笑)、学生の頃仲が良かったグループとかは社会人になってからもLINEのグループとして繋がり続けているはずです。そして、そのグループで定期的に集まったり、いつでも連絡を取り合ったりできる安心感があります。

 

この状況は、人間関係が相対化されてないケースです遠くの親戚より近くの他人でも、近くの他人より近くの親戚を選ぶのが普通でしょう。と、こんな風に既に完成された人間関係があると、別の人間関係を構築する必要性が激減するんです。そもそも人が友達を作るのって孤独に耐えられないから、という理由が一番大きいので。また、完成された人間関係の中で生きている方が確実に楽しいわけですよ。10回行って1回しか楽しくない場所より、10回行ったら10回とも楽しい場所に行く。当たり前かつ合理的な選択です。

 

また、友達と遊ばないとしても、今は家でできる選択肢は無尽蔵にあります。好きな音楽を聞く、好きな映画を見る、Youtubeを見る、SNSゲームをする。一人でも楽しめるコンテンツが山程あるわけです。昔に比べて、簡単にできる楽しいことの選択肢が格段に増えているのは周知の事実でしょう。我々ゆとり世代にとって、「魅力的な上司がいないから会社の飲み会に行かない」というのは、(家で簡単にできること以上に)あるいは(すぐに遊べる仲の良い友人グループ以上に)魅力的な上司がいないというわけです。

 

つまり、今から10年、20年前は、魅力度10の上司でも新入社員にとって魅力的に写ったかも知れませんが、今は魅力度30ぐらいの上司が求められている、なぜなら、魅力度30ぐらいの友人や面白コンテンツが競合として存在しているから、ということです。

老人達への提言

まず、頭ごなしにけしからん、ではなくて、上記のような時代背景とかを考えて欲しいものです。その上で、なぜ飲み会に来ないのか、を考えて欲しい。来るのが当たり前でしょ、という思考しかできない時点で今の時代に求められる魅力度には達していないと気づくべきです。自分の経験談を話してやる、という傲慢な考えだけでなく、今の若者の考え方とか動向に興味を持つ、とかもいいかもしれませんね。

ゆとり世代への提言

出来上がった人間関係にずっと依存し続けるのはやめたほうがいいです。別に縁を切れというわけではなく、適切な頻度にした方が良い関係を続けられる、かと。仲が良いだけで繋がっている関係って結構しんどいですよ。話題も尽きていつも同じような話になるし、あと一番まずいのが、人間関係に対して閉鎖的になってしまうからですね。私が言うのもなんですけど。

 

考えてもみてください。今でも中学や高校の友人と仲が良いって人も多いんじゃないすか。で、そういう人間関係ができた理由って、それまでの完成された人間関係を、人生の節目で一度リセットしてきた結果だったりするはず。そういうことも踏まえると、今の完成された人間関係からは少し距離を置いてみるとか、新しいところにも少しは顔を出すとか、そういうのも未来への投資という意味ではやった方が良いと思いますけどね。これまた私が言うのなんですけど。