ITの発達によって、的確な情報が適切な人に適切なタイミングで届けられるようになったことは間違いない。
今や昔の話になってしまったが、ビッグデータによる解析技術は、今まさに欲しいもの・欲しい情報が個人の行動特性に合わせて通知することが可能になった。個々に合わせた情報を届けることができるようになったのは非常に大きな功績であると思う。
しかしながら弊害もある。特に、個々の興味にあった情報を届ける、というのは、人間の成長とか変化とかを完全に度外視している。結果として、人を、人の人生を固定化させてしまっているのである。
別に、固定化した人生が悪い、とは思わない。例として、イチローはかなり固定化された人生を送っていると思う。でも、それは誰かに固定された人生ではなく、自らの意志で固定しているからアリなのだ。
翻って、人生を固定化されてしまっている人もいる。例えば、RPGゲームのアプリをインストールしたとすると、あなたにおすすめのアプリとして、別のRPGゲームが勧められることになる。そのゲームをインストールすると、また別のRPGゲームが勧められて、といつまでも続く。
アマゾンのおすすめ商品も同じである。そして、勧められる商品を良いと感じる理由もよくわかる。でもそれは今まさにその瞬間を生きている自分にとって良い、ということでしかない。そして、それを選び続けることは、自分の人生をアルゴリズムに任せているのと同じである。
アルゴリズムは確かに高度なものになったが、あくまで営利目的、すなわち一番売れる確率の高いものが紹介されているに過ぎない。その商品を購入した結果、その人がどうなってしまうかとか、そんなことは一切考慮されていないのである。
一言で言うと、未知性とか偶然性を提供できない社会になっているのである。結果的に未知なもの、偶然の出来事に対して消極的になる人が多いと思う。でも、人間が変わったり成長したりするきっかけって、ほとんどの場合未知性とか偶然性によるものではないだろうか。
未知なものは既知のものに比べると怖いものだ。しゃべったことのない人よりもしゃべったことのある人としゃべる方が楽だろう。やったことのないことをやるよりもやったことのあることをやる方が楽だ。
しかし、どんな人だって、やったことのないことをやったから、今それが楽しいということに気付けたはずだ。中学、高校と成長するにつれて、得体の知れない人と偶然出会ったから今の友人がいるはずなのだ。人生が生まれた時から固定化されていれば、それほどつまらないことはない、と多くの人は必ず思うに違いない。
今の人生が最高だ、一生こんな毎日を続けていきたい、という人はずっと固定していればいい。ただ、予期せぬ偶然にいつかは必ず遭遇するため、それを受けて自分が変わらざるを得ないことには注意しなければならない。
今が退屈な人は未知性や偶然性を少しは取り入れていくしかない。なぜなら、既知の面白いことはそれほど面白くないことに変わりつつある、ということだからだ。あえてあんまり関心のないことをやってみる、とか全然知らないことをやってみる、とかそういう時間を少しは持った方がいい。かなりモチベーションのコントロールが難しいけれど。
ITとしては、長期的な目線にたったアルゴリズムができると面白いと思う。RPGゲームをインストールしたら、ゲームのし過ぎだから脳トレゲームを勧める、とか。家入一真が言っていたみたいに、アマゾンが「あなたは絶対に読まない本」を勧めてきても面白い。私なら絶対買ってしまう。
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さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について (中公新書ラクレ 560)
- 作者: 家入一真
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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