∑考=人

そして今日も考える。

インプットとアウトプットのスタンス

私が受験で成功した主たる要因は自分のアウトプットを最適化する学習方法を実施していたことにある。テストというのは本来、当人の理解度を推し量るためのものであるが、その実そういう風にはできていない。要するに、深く理解していることがテストで良い点を取れることを保証するものではないのである。

 

仕事も全く同じである。与えられた資料を読み込み、深く理解したから良いアウトプットが出せるか、というとそうではない。どんなに理解していても、期待される成果物を作れるかどうかは別なのである。

 

頭がいい人の多くは、理解すなわちインプットに重きを置く人が多い。仕事でわからないことがあれば納得いくまで話を聞き、自分で調べたりする。ただ、インプットに時間をかけた分だけ、アウトプットの時間が減ってしまうことは考慮しておくべきだ。仕事の現場において理解することは単なる手段でしかない。

 

例えば、プログラムを作る場合はアウトプットに最適化すべきである。ネット上に使えるリファレンスがあるならそれをコピペして使いまわした方が早い。Googleアルゴリズムのおかげで信頼性の高いものがヒットする。実際に動かしてみて問題がなければOKとする。その方が早い。

 

もちろん、自分で一つ一つプログラミング言語の文法を調べて、少しずつ段階的に作った方が時間はかかるが、次に同じものを0から作り上げることができる可能性は格段にあがる。しかしながら、0からプログラムを作る必要があるケースなどほとんどないので、このあたりは残念ながら自己満足でしかない。

 

ただ、アウトプットに最適化することが必ずしも良いか、というとそれも違う。確かにアウトプットに最適化したインプットをしていると、生産性は高いし、良い成果物も作れるだろう。ただし、それは短期的な成果に限る。上に述べたように、付け焼き刃で身につけた、本質的な理解を伴わない知識はすぐに忘れてしまうからだ。

 

また、アウトプットに最適化していると、どうしてもイレギュラーに弱くなってしまう。特に、説明資料を作る場合などは、目的や経緯、問題点、原因と対策案などを深く理解している必要がある。説明の伴う成果物については、どちらかといえばインプットを重視した方が良いのだ。

 

最近気づいたのが、こんな風に状況に応じて、インプットとアウトプットのバランスを変えられる人間は非常に少ない。成人した頃には、インプット重視なのかアウトプット重視なのかが大方決まっているからではないか、と思う。

 

インプット重視型は他人への説明が得意であるし、ある程度のイレギュラーにも即座に対応できる傾向が強い。これは事前準備を綿密に行う資質からくる対応力であろう。ただし、色んなことにスピード感が欠ける。

 

アウトプット重視型は説明が不得意で、とりあえずやってみてから考えるスタンスを取る。最低限の準備でスタートを切るので、仕事は早い。準備を嫌い、想定外の問題が発生した時は、発生してからトライ&エラーで問題解決にあたる傾向がある。いうまでもなく、私もアウトプット重視型である。

 

ただ、これらも意識的に変えることは可能である。説明が苦手なのだとしたら、少しインプットに比重をかけてやればいいし、仕事が遅いと感じるのであれば、少しアウトプットに比重をかけてやる。

 

無意識に仕事を進めると、自分の基本スタンスで仕事を進めてしまうため、問題が顕在化してしまうが、仕事の種類に応じてこれらを使い分けられるようになれば、特に致命的な問題にはならない。