∑考=人

そして今日も考える。

リリース準備にかける時間の妥当性は

僕思うんですけどね。もし、高校入試とか大学入試のタイミングが、自分の好きなタイミングで選べるとしたら。日本人のほとんどはいつまでも勉強してるんだろうなって。そう思います。いくら勉強したって合格率100%にはならないけれど、勉強した分だけ確率は上がっていく、あるいは上がっていくような感覚になるから。

 

人生には本番という、ここだけは絶対に失敗できないって場面が何度となく訪れます。受験もその一つです。そして、失敗のリスクを避けるためにできることはひたすら準備です。準備不足で失敗する人もたくさんいます。絶対に失敗できないからこそ失敗のリスクはできるだけ避けたいと考えます。それは日本人なら尚更です。

 

私もどちらかといえば慎重派ですが、必要以上にリスクに備える時間は無駄だと考えています。だって、やったことない作業の成功確率なんて測りようないし。模試の結果で80%で合格とか言われても無意味だし。それが本当に8割の合格率を保証する数字でもなければ、8割が正しくても残り2割に入ることだってままあることです。

 

こんな私にとって、システム開発のリリースにかける準備稼働というのは実に不毛なんですよね。クソつまんない。リリース手順書を作って、Rvして、リハーサルやって、切り戻しのリハーサルやって、本番を迎える、みたいな流れ。メールアドレスの宛先を一つ追加します、程度の改修で。失敗しても大きな影響が出るリスクも小さいのにもかかわらず。

 

ぶっつけ本番でやれば、1日で終わりそうな作業を、もろもろ準備して1ヶ月ぐらいかけてやる。コストを30倍かけてでもやるべきことなのでしょうか、と私はずっと疑問に思っている。

 

とは言え、「リスクが小さい」ということを論理的に説明することってできないんですね。みんな、リスクの大小というのは感覚に頼って判断しているんです。それはつまり、リスクの対策が不足なのか過多なのかを論理的には判断できない、ということです。

 

で、日本組織の場合は、必ず一番慎重な人の意見に合わせる決断が下されることが多いです。勇敢な上司ならわかりませんよ。けど、現場の実態がよく見えない、ソースコードの構造がよく見えていない課長クラスの人達が安心するためには、品質を高めるプロセスをどれだけ踏んでいるかが極めて重要になってきます。そのプロセスにかかっているコストよりも、失敗してお客さんに迷惑をかけるリスクを避けるのは、特にコスト意識の低い大企業ではもはや普通ですね。

 

上層部クラスがこの当たりのリスクを許容する、あるいはコスト感覚と照らし合わせて考えてもらえないと、いつまでたっっても無駄な仕事は減らないし、現場の生産性は上がらないままです。標準化された枠組みに縛られず、規模に応じてスリム化する柔軟さが必要でしょう。