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そして今日も考える。

IoTと監視社会

IoTとはモノのインターネット化、すなわち世の中のあらゆるデバイスが相互に情報通信を可能となる概念のことである。これはセンターの小型化、高精度化に起因して成長を遂げたITの分野である。

 

例えば、IoTを使って何ができるかというと、遠隔地点の監視、あるいは遠隔操作などだ。これらができることによって、今まで行動が制限されていた物理制約が緩和され、シームレスに、リアルタイムで自分たちが見たいものを見る、やりたいことをできるようになっている。

 

IoTはセキュリティと親和性が高い。不正や防犯を検知するために、人の目が届かない場所に入ってリアルタイムで監視したり、それらを通知する機能は、必ずや社会に対して大きな貢献をするものだと考えてられている。

 

しかし一方で、あらゆるところが監視されることは我々にとって本当に望ましいことなのだろうか、という懸念もある。それはセキュリティとは相反する概念、プライバシーの考え方だ。

 

今までのツイッターなどSNSの普及によって、一部の芸能人たちのプライバシーが全世界にさらされる問題があった。色んなことを共有できるということは色んながことが共有されてしまうということでもある。

 

基本的に芸能人に限らず、スマホを使っている我々の行動は全てデータとしてあらゆるところにネットを介して送信・蓄積されている。そして、それらの情報がビッグデータとして解析され、広告などに利用され、我々の消費行動に影響を与えているのだ。ただ、それがプライバシーの侵害として認識できるのは、芸能人などの一部の有名人ぐらいというのが真実である。

 

IoTはさらに個人に関するデータを膨大化させ、今までならわからなかったはずの個人情報にういても世間にさらすことになる可能性がある。情報の流入ルートがスマホだけではなくなるし、ということは情報を取得する場所も増えるからだ。

 

とりわけ悪事を働かない人であっても、自分がどんな人間で、普段どんな人間であるかを24時間監視されているというのはあまり好ましくはないと思う。息が詰まって仕方がない。

 

例えば、今は子供の安全を謳って、親がいつでも子供を監視できるサービスがあったりするが、常に親にコントロールされることは、子供の自我を抑制することにもなりかねない。そもそも、子供ながらに危険に自分で対処する経験がなければ、大人になった時に問題解決力や自分で考える力に影響を及ぼしてしまうのではないか、とも思う。

 

何より、あんなものは子供にしてみたらいい迷惑でしかないと思う。私が親に常に監視されている子供なら、自分が檻に閉じ込められた動物園の動物であるかのように感じる。親としては子供の安全を思ってのことだろうが、実際は、自分の安心と子供の自由がトレードオフになっていることを理解しておく必要はあるだろう。

 

IoTはこういった社会を助長する。つまりは社会としての安心を優先することによって、個人の自由が侵害されるリスクを孕んでいるということだ。IoTはセキュリティと親和性が高いからこそ、使う範囲や使う機能を制限して、自由についても考えを巡らせる必要がある。