∑考=人

そして今日も考える。

何のために働くのか

最近、働く目的がブレてきているんですね。というか、完全に見失ってきている。3年目ぐらいまではとりあえず目の前の仕事をやりきって、仕事を覚えて、評価を勝ち取って、自分が自由に働きやすい環境を作ることが目的だったんですね。その中に成長もあるだろうと思っていました。

 

でも、蓋を開けてみれば、自分が求めていたような成長はないし、そういった成長は会社からも求められていない。もちろん、自分の弱い部分とか、サラリーマンとしての基礎的な能力は鍛えられたと思いますけど、ただ別にそんな能力伸ばしてもねって感じです。

 

また、ある程度自由になった、というのも目的を失ってしまった一つの理由ではあるかと思います。というのも、人間って不自由な環境に置かれると、まず自由になることを本能レベルで渇望するじゃないですか。低次元の欲求が脅かされるとまずはその欲求を満たすことを求める。すなわちそれが目的になって、行動のモチベーションになるわけです。

 

でも、どうも今の私はそれなりに自由な状況になってしまったが故に5月病っぽい感じになっているんですね。自由になった上で、何をやりたいのか?を考えた時に、今の会社でやりたいことってなんだろう。そもそもそんな仕事あるのか?という話になるわけです。つまり、今までやっていたようにただ何となーく会社にいって目の前の仕事をしているだけ。

 

で、私なんかはこれといった趣味もないですし、仕事を人生の中での結構重要な部分に位置付けているわけです。その前提で、仕事が意味のないものになってしまうと、人生の意味も揺らぎかねないわけですね。実際、最近は休日も退屈過ぎて困ってしまいます。

 

ツラツラと述べてきましたが、近年は、私と同じような考えをもっている若者が多いらしいです。自分の存在意義を感じないとか、自分が何をしたいのかわからないとか。なんていうか、逆説的にはすごく自由で幸せな状況なんですけど、ただ自由である状態というのはフロイトが「自由からの逃走」で述べているように実は苦痛なんです。

 

最近は簡単にインスタントに楽しめるコンテンツがたくさん用意されていて、さくっと暇をつぶすことはできるんですけど、映画見たりドラマを見ても、イマイチ満足できない。人間の深い部分に突き刺さるほどのクオリティがなく、表面的な面白さしか感じられないんですね。

 

今やっている仕事も世の中のコンテンツと同じような側面が感じることが多くて。一言で言うと、「とりあえずお金になりそうな仕事をする」、という方針しかないように感じるんですね。自分たちのWillとかは何にもなく、ただただお金になりそうな仕事を探して、そこに対してソリューションを探して売る、みたいな。資本主義社会の中では確かにそういう考え方が必要なんでしょうけど、拝金主義的な考え方には薄っぺらさを感じてしまう。

 

就職する前の私は、システムというのは作品だと考えていた節があって。それはすなわち、少なからず芸術的な意味合いを持つものだと考えてました。でも、今考えてみれば、ただの製品でしかないんですね。そこに対して誰かの思い入れがあるわけでもなく、ただただ分業化して作られたパーツを組み合わせたもの、でしかない。思い入れよりも納期やコストが優先されるスキームの上で動いています。

 

で、こういった実利的な考え方の組織で行動するようになると、プライベートの過ごし方もどんどん実利的になっていくわけです。意味のないことはなるべくさけ、作業を効率化して、面倒臭いことを避ける生き方をする。それが洗練化されていくわけですね。これちょっと面白そうだな、と思う前に頭でこれには価値がないな、と考えてしまうわけです。で、手軽に楽しめるコンテンツに手を出してひまを潰す。

 

こういう生活をしていると、むしろ生きている意味がわからなくなる、という矛盾に苛まれます。でも、本当は生きている意義に縛られすぎているんですね。今日という日を価値あるものにしなければならない、という強迫観念が染み付いているので、意義がない日々を過ごしていると、意味がない人生だと考えてしまう。

 

子供の頃の人生が充実していたのって、実はこの部分が非常に大きいんです。なぜならば、子供の頃は意義なんてものを誰も意識していなかったし、誰からも意義を求められることはなかったからです。頭で考えるよりもノリで動いて、その瞬間を楽しんで、それだけ。非計画的で、非合理的。だから充実していたんです。たぶん、それが「遊び」だったんだと思います。

 

大人になると、色んな場面で、計画性や合理性が求められる。休日の遊びですら、仕事に感じるし、億劫に感じる。何かしらの意義を強要されている気がする。で、そういう生活を続けていると、ますます、自分の人生ってこれでいいのか?などと思うわけです。実はそういう人結構いるんじゃないですかね。

 

この状況を脱却するためには無計画、即興的に生きてみること、敢えて面倒臭いことをやってみること。要するに、頭を使わず感覚的に生きる瞬間を作る、ということです。必要以上に意義を求めない、ということです。仕事の中でこれをやるってのは非常に難しいですけどね。

 

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実存的で非常に面白いです。