∑考=人

そして今日も考える。

究極の2択を考えた時に気づいたこと

別プロジェクトの支援に入って早一ヶ月になる。今週は夏休みをいただいたので、実際には3週間程度ではあるが、毎日11時ぐらいまで残業の日々が続いているため、実労働時間に換算すればほぼ一ヶ月と言えるだろう。

 

ちょうど四半期の終わり頃ということもあり、課長と少し面談をした。トピックを端的にいえば、今支援しているプロジェクトを今後も続けたいのか、それとも以前のプロジェクトに戻りたいのか。その答えが聞きたい、ということだった。

 

もちろん、全く考えていなかったわけではないが、予想以上に答えを急かされていることに少し面食らった。その時に答えることができたのは、開発をさせてくれるなら残りたい、という程度の意見であった。維持体制に組み込まれるのであれば、元のプロジェクトに戻る、と。ただ、私の優柔不断そうな態度を汲み取られたのか、また、近いうちに答えを聞かせてくれ、とだけ言われ、その場は一旦打ち切りとなった。

 

果たして、本心はどうだったのだろうか。

 

「どっちも嫌だな」。2択をせまられた時、私が直感的に思った本心は、おそらくそうだったに違いない。はっきり言ってもともとやっていたプロジェクトが面白いと思っていたわけではないし、そこから今のプロジェクトに支援に行くことが決まった時も、嬉しさがあったわけではなかった。案の定こうして一ヶ月間新しい仕事をしているわけだが、別にそこに対する面白さを見出せているわけではない。

 

ただ、どっちも面白くない、などという回答をすることの不毛さをよく理解しているので、どっちも面白くない中でよりマシな選択肢はどちらなのかを選ぶことだけに絞って思考を巡らせただけなのだ。

 

となると、キャリアとか専門性に少しでも繋がる選択をするべきだろう。そして、自分が身につけたい専門性であるべきだ。極端な話、営業スキルを身につけたいわけでもないのに、営業職を選ぶというのはおかしい。そう考えた時に、前のプロジェクトに戻る、という選択はやはり良い選択だとは思えなかった。

 

一方で、維持を続けていく、というのも自分のキャリアを余計に狭める選択になり得る。維持は勉強になるとは言われるが、それはアトランダムに発生する故障起因による一部の要素技術には詳しくなるかもしれないが、開発のスキルとは全く異なる。それならばせめて前のプロジェクトの方が少なくとも開発プロセスには携われるため、より良い選択肢である、ということだ。

 

なので、課長向けの回答としてはやはり間違ってはいなかった。ただ、結局前提についてもう少し考えるべきなのでは?という懸念がもっとも気がかりだった。先週、兄の結婚式でハワイ旅行をしていた最中も、綺麗なビーチを見ながらふと自分の人生について考えていたのであった。

 

つまり、「面白くない選択肢の中から選ぶ」というのがそもそもおかしいのではないか。ということだ。あるいは、なぜ「どちらも面白くないので嫌です」と言えなかったのか。なぜそういった発言をすることを私は「不毛」だと思ったのか。

 

「どちらも面白くないので嫌です」と答えた後に聞かれることは一つしかない。「では、何がやりたいのか?」と。もちろんゼロ回答というわけではない。なるべく新しい技術に触れたいと。今ならAWS、IoT、AI、あるいはブロックチェーンなんかもいいかもしれない。

 

でも、ここで既に私は二つ目の嘘を付いている。なぜなら、仮にどんなに新しい技術を使った開発であっても、それだけで仕事が面白くなるはずがないことを知っているからだ。つまり、「やりたい」と言いつつ、本当はそれをやっても面白くないことを知っている。

 

では、なぜ面白くないのか。それはSIerという構造の中にある。SIerの中で元請けのやる仕事は、ざっくり言えば計画、推進、管理、そして問題解決だけだ。全ての仕事は正しい計画を立てて正しく実行すれば必ずうまく行く。ただし、計画通りに実行されることは絶対にないので、管理する必要がある。また、計画通り行かないのは何かしらの問題・課題があるからでこれらを解決する必要がある、というわけでだ。

 

この4点を押さえていればなんでもうまくいく、という前提に立って仕事を進めるのがSIerだ。逆に計画が立てられないような仕事も、誰もできないような仕事もしない。全体計画を立てて仕事を分解できれば、あとは専門家に任せれば良い、そういう考え方である。

 

計画・推進・管理・問題解決が誰でも簡単にできるとは言わない。また、こういった専門性も意外と外の世界では重宝されるスキルなのかもしれないと、最近では考えるようになった。でもこれだけをやる仕事ははっきり言ってつまらないのだ。そもそもITの仕事とは言えない。

 

つまり、自分の専門性で価値を出す場面があまりに少ない。結果的に専門性もそれほど身につかない。そもそも専門性は外部から調達すれば良い。その叡智を引き出して理解して、わかりやすい形で可視化して伝えられれば十分、そういう考え方なのだ。

 

たぶん、この方が合理的で無駄のない仕事のやり方なのだろう。ビジネスモデルとしてはやはりよくできていると言わざるを得ない。給料だって高い。でも、果たしてこれを一生続けていくってどうなのだろうか。

 

私が会社の人間にキャリアを話をするのが不毛だと思う理由はここにある。つまり、この会社で働くことって果たして正しいのか?という問いをここで働く人に問いかけてもしょうがないし、彼らに言ったところで何かが変わるわけでもないからだ。つまり、自分で動く必要がある、と。そういうことなのだ。

 

2択を突き詰めてみて、第3の選択肢が見えなくなっていたことに気づいた。